ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.30 (抜粋4箇所)『昭和天皇の名言』 永遠に記憶したい皇室の御心  山下晋司監修

 

    『昭和天皇の名言』

     永遠に記憶したい皇室の御心

       山下晋司 監修

 

 

 

・もうゴルフはやめる……

 ゴルフ場の手入れは、

 一切してはいけない……

 刈りさえしなければ、

 こんな花が咲いてくれる。

(昭和12年7月7日

 満州事変<日中戦争>の勃発に際して)

昭和天皇は、

 皇太子時代の

 大正6年ごろから

 ゴルフを始め、

 皇居の

 吹上御苑には

 9ホールの

 ゴルフコースを

 築いて、

 週に2、3回は

 プレイをしていた。

 しかし、

 昭和12年7月に

 盧溝橋事件が勃発し、

 中華民国との

 戦争状態になって以降は、

 時勢を考えたのか

 このように

 ゴルフをやめることを

 宣言した。

 皇居内で

 ゴルフコースのあった

 一帯は、

 現在では、

 巨大な

 ヒマラヤスギやイチョウの木が

 茂り、

 アライグマやタヌキも

 棲んでいる。

 

 

・お前のところも

 あぶないと思うから、

 今日はもう帰ってもよい。

(昭和20年5月24日

 空襲の報告を受けて)

→昭和20年5月24日未明の

 東京への空襲では、

 死傷者が

 約5千人に上がった。

 戸田康英侍従から

 品川方面の

 被害が大きい

 と報告を受けた

 昭和天皇は、

 戸田の家も

 荏原(現在の品川区内)

 にあったので

「行って

 家を

 見てくるように」

 と気づかった。

 この空襲で

 明治宮殿も

 焼失したが、

 昭和天皇

「そうか、

 焼けたか。

 これで

 やっと

 みんなと、

 おなじになった」

 と語ったという。

 

 

・心の奥底では、

 いつもそう願ってきました。

 恐らくマーク・トウェイン

『王子と乞食』のようにね。

(昭和50年9月20日

 アメリカの

ニューズウィーク』誌の

取材に対して)

→訪米の直前、

 アメリカの

ニューズウィーク』誌の

 取材を受け、

「皇居を抜け出し、

 気ままに

 振る舞ってみたいと

 お考えになったことは

 ありませんか」

 との質問を受けての

 回答。

 マーク・トウェインの児童文学

『王子と乞食』では、

 貧困層の少年と

 入れ替わった

 王子が、

 庶民の

 生活の実情を

 知って

 名君を

 目指そうとする。

 昭和天皇は、

 もし

 自由に

 皇居の外に出る

 願いがかなえば

「結末も

 この物語と

 同じになったでしょう」

 と語った。

 

 

・雑草という名前は、

 少し侮辱的な

 感じがして好まない。

(昭和59年8月31日

 那須御用邸

 宮内記者会にて)

生物学者として

 植物にも

 造詣の深かった

 昭和天皇は、

 かねてより

「雑草という草はない」

 と語っていた。

 昭和59年の

 那須御用邸での

 定例会見では、

 その意味について

 質問を受け、

 このように

 回答している。

 このほかにも、

 侍従の田中直には、

「どんな植物でも

 みな

 名前があって、

 それぞれ

 自分の好きな場所で

 生を営んでいる。

 人間の

 一方的な

 考え方で、

 これを

 雑草として

 決め付けてしまうのは

 いけない」

 と語っていたという。