ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.145 『用心しすぎたアラブの商人』タルムードより

 

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《用心しすぎたアラブの商人》

 

 

 

 ある時、

 アラブの若者が

 商人として初めて

 砂漠の横断の旅に出た。

 途中で

 砂嵐があると

 何日も

 足止めをされるので、

 用心のために

 三日の行程に必要な

 水樽の倍の

 六樽の水を運ぶために、

 都合二頭のラクダを買った。

 ラクダは

 目的地に着いて

 売ればいいと考えた。

 ところが

 砂嵐はなかったものの、

 途中で

 樽の重さに

 ラクダがへばり、

 まったく歩けなく

 なってしまった。

 やむを得ず

 若者は

 ラクダを

 二頭とも捨て、

 一番重要な

 積み荷だけ

 背中に背負って

 歩くことにした。

 ところが、

 半日も歩かないうちに、

 砂嵐が襲ってきて、

 まったく

 方向が

 わからなくなってしまった。

 そこで

 その場に留まり、

 砂嵐が収まるのを

 待つことにした。

 しかし、

 砂嵐は

 三日三晩続き、

 食料も

 尽きてしまった。

 四日目の朝、

 ようやく

 砂嵐は収まったが、

 若者には

 積み荷を背負って歩く力は

 残されていなかった。

 もはや

 選択の余地はない。

 若者は

 積み荷を捨て、

 かろうじて

 水筒のみを腰に下げ、

 命からがら

 近くの村に

 たどり着いた。

 彼は、

 ラクダ二頭も、

 大切な積み荷も、

 すべて

 失ってしまった。

 

 

・過剰な用心は

 良い結果を

 生まない。

 用心の

「適正」

 を考えよ。

 

 

 過剰な用心が

 さらに

 過重な用心を

 呼び、

 逆に

 危険だと

 教えている。

 こんなこともあり得る、

 あんなこともあり得るだろう

 と過剰に心配しすぎるのは、

 日本人にも

 ありがちなことだ。

 

 

 最悪の事態を

 悲観的に

 考えすぎると、

 かえって

 結果達成の

 妨げになる、

 と教えている。

 ならば、

 何の用心もせず、

 出たとこ勝負で

 打って出ればいいのか。

 それはダメだ。

 事実、

 この話では

 若者に砂嵐が

 襲い掛かっている。

 ラクダなしでは

 荷物も十分に

 運べない。

 しかし、

 水を六樽も

 ラクダに運ばせたのは

 負担が大きすぎたのでは

 ないか。

 過剰な用心も

 過剰な楽観も、

 決して

 良い結果は生まない。

 では、

 アラブの若者は

 どんな対策を

 立てればよかったのか。

 その答えは

 説話の中にはない。

 あなたなら

 どうしたか。

 

 

 ユダヤ人は

 その適性判断をするために、

 頭をフル回転させる。

「心配」ではなく、

「考える」のだ。

 リスクを

 計算するのだ。

 

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