ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.161 『土地は神が与えたもうたもの』タルムード

 

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《土地は神が与えたもうもの》

 

 

 

 エルサレム

 信仰厚く、

 慈悲深い

 農夫が

 住んでいた。

 彼は

 大きな農園を

 営んでいたが、

 毎日

 祈りを欠かさず、

 毎年

 訪れるラバイたちにも、

 礼拝所を

 維持するための

 献金や、

 学校を

 つくるための

 寄付など、

 惜しげもなく

 善を施していた。

 ラバイたちだけでなく、

 貧しい人や、

 病気の人、

 年老いて

 動けなくなった人たちにも、

 彼は

 できる限りの

 恵みを施した。

 ある年に、

 大きな嵐が

 エルサレムを襲い、

 農夫の果樹園は

 嵐でなぎ倒され、

 全滅してしまった。

 さらに悪いことに、

 伝染病が流行り、

 飼っていた家畜が

 全部

 死んでしまった。

 今まで

 裕福な農夫に

 投資していた

 債権者たちは、

 これを見て

 危機感を

 募らせた。

 彼らは

 農夫の

 家や家財道具、土地まで

 あらゆる財産を

 差し押さえてしまった。

 農夫には、

 もはや

 小さな土地しか

 残っていなかった。

 しかし、

 農夫は

 少しも

 動揺することなく、

「神が与えてくださり、

 また

 神が奪い給うたのだから、

 仕方のないことです」

 と、

 恨み言一つも

 言わなかった。

 そして、

 また昔のように

 小さな土地から

 開墾を始めればいいと、

 朝早くから

 働き始めた。

 その年も

 いつものように

 ラバイたちが

 やってきた。

 彼らは、

 農夫の没落ぶりに

 ひどく驚き、

「あれほど

 豊かだったのに」

 と同情した。

「私は

 今まで

 たくさんの献金

 することが

 できたけれど、

 今年は

 お金がなくて

 何も差し上げられない。

 どうしたら

 いいだろうか」

 と、

 農夫は

 せっかく来てくれた

 ラバイたちを、

 手ぶらで帰すのは

 申し訳ないと

 思った。

 そこで

 最後に残った

 小さな土地の

 半分を売って

 お金を作り、

 それを

 献金した。

 思いがけないお金に

 ラバイたちは驚き、

 農夫の

 信仰の深さに

 たいそう

 感激をして

 去っていった。

 ラバイたちが去った後、

 半分になった

 小さな土地を

 牛を使って

 耕していると、

 突然

 その牛が

 泥の中に

 倒れ込んだ。

 牛は

 ずんずん

 泥の中に

 沈んでいく。

 農夫は慌てて

 泥に埋まった牛を

 掘り出そうとした。

 すると、

 なんということだろう。

 泥に埋まった

 牛の足元から、

 今まで見たこともない

 大量の金貨が

 出てきたのである。

 その金貨で、

 農夫は

 また昔のように

 大きな農園を

 手に入れることが

 できた。

 次の年も

 また

 ラバイたちが

 やってきた。

 あの農夫が

 相変わらず

 貧しい生活を

 していると

 思っていた

 ラバイたちは、

 彼が

 大きな農園を

 また経営し、

 立派な家を

 構えていることを

 知って

 驚いた。

 農夫は

 ラバイたちに

 自分に起こった

 不思議な出来事を

 話した。

 ラバイは

 深く納得して、

 農夫に

 このように言った。

「惜しみなく

 与えれば、

 必ず

 それは

 戻ってきます」

 

 

・土地は誰のもの?

 土地の所有は

 50年で

 ご破算に。

 土地は

 神のもの

 という認識。

 

 

「富は

 独り占めしては

 ならない。

 貧しい者に

 分け与えよ」

 

 

「土地は誰のものか?」

 という

 ユダヤの考え方を

 紹介しよう。

 人が

 大きな

 お金儲けをするためには、

 土地の利用が

 不可欠だ。

 しかし

 ヘブライ聖書では、

 人が

 経営活動するために

 土地を

 永続的に

 所有することを

 禁じている。

「土地は

 神のものである」

 という記述も

 頻繁に登場する。

 

 ヘブライ聖書で

 土地を

 どのような概念で

 扱っているか

 といえば、

 使用権、

 あるいは

 借用権である。

 所有は

 認められていない。

 オーナーは

 神のみである。

 人間は、

 ある一定の期間、

 土地を

 神から

 借りているに

 過ぎない。

 

「神が与えてくださり、

 神が奪い去ったのだから、

 それは仕方のないことだ」

 

 古代ユダヤでは

 土地は

 50年間

 神から

 借りることが

 できるのみである。

 古代ユダヤでは、

 50年間で

 その土地の利用を

 いったん終えて、

 神に返すべし

 と考えた。

 地主は

 そこでの

 耕作を終わりにし、

 働いていた

 農民も使用人も家畜も

 すべて、

 解散、解放することにした。

 50年という期間は

 人の一生に

 等しいもので、

 そこで

 親が蓄えたものは

 神や社会に返し、

 子供は

 新たな人生を始める

 という考え方であった。

 

 

 たとえ

 蓄えてきたものが

 ご破算になったとしても、

 信仰を失わず、

 貧しい人たちへの

 善行を忘れなければ、

 必ず

 また恵みを受け取る

 時期がやってくる。

 

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