ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.123 『マーフィーの成功法則』謝世輝 知的生きかた文庫 ー抜粋22箇所

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『マーフィーの成功法則』

   謝世輝

     知的生きかた文庫

 

 

 

・一日の中で

 最も愉快なことを

 真っ先に考えよう。

 

 

・良いことを思えば

 良いことが起きます。

 悪いことを思えば

 悪いことが起きます。

 これが

 潜在意識の法則です。

 

 

「あなたが

 この世に生まれたのは、

 豊かな人生、

 つまり

 愛と

 平和と

 喜びと

 豊かな生活に

 満ちた人生を

 送るためなのです」

 

 

「あなたが

 精神の目を

 開いて、

 自分の中にある

 無限の宝庫を

 見れば、

 自分の周りには

 無限の富が

 あることが

 わかります」

 

 

・ところで

 現代では、

 これまで紹介してきた

 成功者に比べ、

 はるかに恵まれた

 環境や条件にあるのが

 一般的だ。

 にもかかわらず、

 挫折や失敗続きの人が

 いるのは

 何故か。

 私は、

 読者から

 手紙を受け取ることも

 あるし、

 大学のキャンパスで

 学生から

 質問されることも

 ある。

 そこで

 話を聞くことになるが、

 そうした人の多くは

 最後に

 こう返答する。

「あれやこれや

 やりたいことが

 たくさんあって

 時間が足りないのです」

 どうやら、

 現代においては、

 環境や条件

 といったものよりも、

 時間がない

 というのが

 成功の障壁に

 なっているようだ。

 目移りするほど

 目標が

 たくさんある場合に、

 いかに

 整理し

 優先順位を

 つけていくか

 ということについては

 第二章以降で

 詳しく説明することにして、

 ここでは、

 はたして

 時間がない

 ということが

 成功の障害になるのか、

 時間というのは

 つくり出していくもの

 なのではないか

 ということについて、

 エジソンを例に

 深く心に刻みたいと

 思う。

 人生80年、

 70万時間の中で、

 いかに早く

 自己実現するか、

 どうすれば

 目標達成の

 最短距離を歩くことが

 可能になってくるかを

 知るはずである。

 アメリカ合衆国中部、

 ミシガン州デトロイト市の

 近くにある

 ディアボーン

 いうまでもなく

 ヘンリー・フォード

 生まれた町であり、

 現在でも

 フォード本社や

 関連工場が

 集中していることから、

 フォード・タウンとも

 いうべき様相を

 呈している。

 その一角に

 フォードの偉業を

 賛えるように

 記念館があり、

 中に興味を引く

 1枚のスナップ写真がある。

 死後に加わった

 4つを含めると

 1093もの

 特許を獲得し、

 発明王の名を

 ほしいままにした

 エジソンが、

 ホテルのロビーの椅子で

 盛装のまま

 足を組んで

 居眠りしている姿だ。

 フォードが

 まだ

 エジソン照明会社の

 従業員であったころに、

 会社の全国大会に

 招かれ、

 そこで

 偶然に

 エジソンの居眠り姿を

 発見し、

 茶目っ気を出して

 撮った写真である。

「ベッドで眠るな!

 これが

 エジソン

 スローガンだ。

 睡眠時間を

 短縮する。

 これが

 偉大な発明家の

 宣言」

 電灯を発明したことに

 関して

 こんな

 センセーショナルな

 見出しで

 新聞に紹介された

 エジソンにしては

 意外な感がする。

「1日3時間しか

 寝ない発明家」

 として

 有名な

 エジソンにしては

 驚きかもしれない。

 それが

 フォードをして

 こんな構図の写真を

 撮影する気に

 させたのであろうか。

 だが、

 事実は

 こうである。

 エジソン

 人生における

 ほとんどの時間を

 研究に費やし、

 1日の睡眠時間は

 平均3時間しか

 とらなかった。

 夜は

 眠り、

 朝は

 8時に起きて

 食事をする

 という、

 普通の人が

 しているような生活を

 自分に許したのは

 75歳を

 過ぎてのことである。

 それゆえ、

 ベッドに入ることさえ

 拒否した

 という

 伝説を持つ

 エジソンであるが、

 ちょっとの暇を

 見つけては

 30分、

 頭を休めようとしては

 30分

 という具合に、

 いわば

 分割睡眠を

 していたのである。

 フォードが

 エジソン

 スナップ写真を

 撮影した時も、

 ちょうど

 そんな時だったのだ。

 

 “覚えも悪く、

 努力もしない”男にだって

 道は開ける!

 

「人は

 だいたい

 長い時間

 眠りすぎるよ。

 知性の高さは、

 睡眠時間の

 長さに

 反比例すると

 思うね」

 エジソン

 二度目の妻に

 真面目な顔で

 こう言ったそうだ。

 1日の睡眠時間が

 3時間。

 とても

 普通の人が

 真似のできることではない。

 エジソン

 何故

 それほどまでに

 睡眠時間を

 削ったのであろうか。

 私たちにも

 真似が

 求められるのか。

 マーフィーは、

 睡眠こそ

 成功獲得の

 最大の武器である

 といった

 意味のことを

 言っているが、

 それと

 エジソンの例は

 矛盾しないのか。

 そのことについては

 のちほど

 説明することにして、

 まず、

 エジソン

 発明家を目指すに至った

 足跡を見てみよう。

 周知のように

 エジソン

 小学校1年、

 それも

 たったの3カ月

 通ったのみで

 退学し、

 その後

 二度と

 学校と名のつくところで

 学ぶことはなかった。

「授業に

 ついてこれないんですよ。

 覚えが悪いし、

 その上

 努力をしない。

 何を考えているか

 わからないのです」

 こう

 担当の先生に

 言われたことが

 原因である。

 だが、

 代わりに

 母親が教育係になり、

 計算や読書の

 手ほどきを受け、

 9歳のころには、

 ギボンの『ローマ帝国衰亡史』、

 ヒュームの『英国の歴史』、

 シアーズの『世界の歴史』

 をつかえながらも

 読んだという。

 そして

 同じころ

 運命的な本に

 出会う。

 リチャード・グリーン・パーカー著の

『自然と実験の哲学』

 という

 初歩の物理学についての

 本である。

「それは、

 私が

 理解して

 読むことができた

 初めての

 科学の本であった。

 その本に

 出会って以来

 学ぶことが

 楽しくなった」

 後年

 自伝で

 語っているように、

 エジソン

 この本に

 興味を引かれ、

「ねえ、

 お母さん、

 本に書いてある

 通りだよ。

 イオウは

 水に溶けないけれど、

 アルコールには

 少し溶けるんだ。

 でも、

 二酸化炭素には、

 もっとよく

 溶けるんだよ」

 というように、

 1年以内に

 本に書いてある

 すべての実験を

 自分で

 試してしまったのだ。

 これが

 エジソンをして

 発明家への道を

 歩ませることに

 なるのであるが、

 後述するように

 わずか6年足らずの

 学歴しかなかった

 フォードといい、

 知識というのは、

 身につけようとさえ

 決意すれば、

 いつでも

 吸収することが

 できるのだ。

 

 

・だが、

 そうした

 母と子の

 教育は

 長く

 続かなかった。

 生活状態が

 逼迫し、

 働きに出ざるを

 得なくなったからだ。

 エジソン12歳のときである。

 列車の車内での

 売り子、

 エジソン

 自分の身体よりも

 大きいバスケットを

 抱え、

 新聞、

 パン、

 ピーナッツなどを

 売るようになった。

 毎朝7時発の列車に

 乗り込み、

 帰りは

 午後9時半。

 車内販売だけでなく、

 商品の仕入れもする

 というように、

 12歳の少年にとって

 苛酷な労働であったが、

 それでも

 エジソン

 その仕事を

 続けた。

 そればかりか、

 停車時間を利用しては、

 図書館に通い、

 貪るように

 読書に

 没頭したのである。

 また

 許可を得て、

 自宅から、

 実験器具や薬品類などを

 すっかり

 列車に運び込み、

 売り子として

 ひと通り

 売り歩いた後は、

 様々な実験に

 熱中もした。

 現在であれば、

 列車内で

 実験するなどということは

 許されないであろう。

 事実、

 エジソン

 貨車の床を

 焼いてしまう

 失敗を起こし、

 クビになりかけたこともある。

 しかし、

 エジソンが実行した、

「時間がなければ

 時間をつくる」

 という教えは

 今でも

 通用するし、

 エジソン

 その後、

 電信技師になり、

 放浪生活も

 味わったが、

 わずかな時間を

 見つけては、

 実験の手を

 休めることは

 なかった。

 話は飛ぶが、

 発明王として

 名声を築いた後も

 その姿勢に

 変わりはなかった。

 千を超える

 発明の中でも

 何といっても

 白熱電灯が

 有名だが、

 エジソン

 その実験に取り組むと、

 休む間もなく

 昼も夜も

 実験に没頭した。

 数歩も歩けば

 家に帰って

 ベッドで

 休息ができるにも関わらず、

 研究室で

 うたた寝をするか、

 公園のベンチで

 軽く休み、

 また仕事へ戻るほうを

 好んだ。

 長女が

 わざわざ

 昼の弁当を

 実験室に

 届けるほどであったが、

 よく

 その時間は

 昼寝の時間に

 当てられていたため、

「お父さん、

 起きて。

 お弁当よ」

 と揺り動かして起こした

 という

 エピソードも

 残っている。

 1日3時間、

 それも

 連続して

 とるのではなく、

 30分

 休んでは

 仕事、

 また30分

 うたた寝しては

 実験と、

 エジソン

 まさに

 24時間的人生を

 送ったのだ。

 誰もが

 等しく有する

 24時間。

 しかし、

 使い方によっては

 25時間にも、

 26時間にも

 することができる。

 エジソンの例から

 私たちが

 学ぶことは、

「時間が

 限られているからこそ、

 時間を

 つくり出す」

 ということである。

「最悪の条件にあっても、

 必ず

 時間というのは

 つくり出せる」

 ということだ。

 さらにいえば、

 エジソン

 時間を惜しみ、

 駆け抜けるように

 時代を走った背景に

 あるものは

 何かを

 知ることが

 大切である。

 実は、

「発明したい」

 という

 明確な夢、

 そして、

 夢に向けての

 ほとばしる情熱、信念が

 時間という観念を

 忘れさせたのであり、

 それが

 結果として

 彼に

 夢の実現の

 最短距離を

 歩ませることに

 なったのだ。

 

 

・財布には

 まっさらな

 24時間が

 ぎっしり

 詰まっている。

 

・日本においては、

 お金に対して

 マイナスイメージがある。

 たとえ

 本心では

 お金がほしいと

 思っても、

 それを

 口に出すことは

 恥と思っている。

 確かに

 聖書には、

「神と金は

 両立しない」

 と書かれているが、

 日本人が

 いつの間にか

 キリスト教徒になった

 という話も

 聞かない。

 それはともかく、

 私は

 必要にして

 正当であるならば、

 お金を得ることは

 決して

 罪悪でもないし、

 他人が

 それを

 批判するものでもないと

 思っている。

 ただし、

 人生のゴールを

 描く時、

 お金だけを

 目的にしては

 いけない。

 あくまで

 お金儲けは

 手段であり、

 それだけを

 目標にすることが

 あってはいけない。

 第二章で触れるが、

 ロックフェラー98歳、

 カーネギー84歳、

 フォード84歳と、

 巨富と成功を獲得した

 3人の偉人が、

 かくも

 長生きできたのも、

 お金の

 有効な使い方を

 知っていたからだ。

 前述のリコーの

 市村氏は

 それを

 こう表現している。

「儲けるは有限、

 儲かるは無限」

 何故、

 お金だけを

 目的にしては

 いけないのか。

 お金に

 とらわれるあまり、

 より重要なものを

 失いかねないからだ。

 お金よりも

 重要なもの、

 その最たるものは

 時間であろう。

 もし

 1万円を

 落としたとしよう。

 確かに

 もったいないことである。

 しかし、

 それも

 24時間を

 無駄にすることに比べれば

 まだ救われる。

 時間は過ぎてしまえば

 再び

 取り戻すことはできない。

 失った青春というのは

 どんなに望んでも

 返ってこないのである。

 それに対し、

 お金は

 その気にさえなれば

 いつでも

 稼ぐことが

 できる。

 このように、

 ほかの

 大切なものを

 犠牲にし、

 富だけを

 人生の目的にすることは

 誤りであるが、

 さればといって

 富を

 罪悪視することはない。

 そればかりか、

 マーフィーは言う。

「貧乏には

 美徳など

 潜んでおりません」

「お金を

 悪いものだとか、

 汚いものだというように

 考えてはいけません」

 そもそも、

 人間は

 富を獲得した後に、

 人生は

 富だけではないと

 気がつくのである。

 

 

「あなたは

 顕在意識

(意識する心)

 では

 夢を見ません。

 夢を見る時には

 あなたの

 顕在意識は

 眠ったまま

 潜在意識に結ばれて

 ものを産み出します。

 夢は

 あなたの

 より深い心の

 テレビの画像なのです」

 

 

・潜在意識を

 うまく

 コントロールすることが、

 成功への道であり、

 ひいては

 時間の節約にも

 繋がることは

 言うまでもない。

 では、

 どのように

 活用するのが

 効果的であろうか。

 R・ジョセフは

『1日24時間をどう使うか』

 の中で

 こう述べている。

 

①したいと思うことを

 はっきり

 心に描く。

②それに関係する

 資料を読み、

 研究する。

③潜在意識に

「私はこうしたい」

 と言い聞かせる。

④数分間は

 精神を集中して

 潜在意識に

 言い聞かせることが

 できるように

 訓練する。

⑤寝る直前にも

 それを実行する。

⑥潜在意識が

 何かを

 もたらしてくれるとの

 信念を持って

 待つ。

 

 私は

 これに、

 目標達成の期限を

 設定する、

 という項目を

 付け加えることを

 提唱する。

 たとえば

 マイホームがほしい

 という場合、

「5年後に取得する」

「40歳になったら

 一戸建てに住む」

 という具合に

 具体的期限を

 設ければ、

 より

 潜在意識に訴える力は

 強く、

 実現の可能性が

 高まるからである。

 

 

・フォードは言った

「自分自身が

 諦めない限り、

 不可能は

 あり得ない」

 

 

・前記の二人に比べ、

 約四半世紀後に

 生まれた

 フォードの、

 少年期から十代にかけての

 足跡は

 どうであったのだろうか。

 ロックフェラー同様に

 比較的

 恵まれた家庭に育った

 フォードは、

 12歳の年に

 母親は失うものの、

 まずは

 普通の少年時代を

 過ごした。

 ただし、

 成績のほうは

 というと、

 読み書きは

 クラスでも最低、

 大のいたずら好きで

 両親や近所の大人を

 てこずらせた。

 反面、

 算数には

 ずば抜けた才能を

 発揮、

 時計といわず

 機械という機械に

 興味を示し、

 分解してしまう

 癖があり、

 両親は

 フォードが

 機械に

 目をつけるたびに、

 それを

 目に届かないところに

 隠すことを

 強いられたそうだ。

 そんなフォードが、

 将来を決定した

 といっても良いほどの

 出会いをするのは

 13歳の時だ。

 無軌道を走る

 スチームエンジン車を

 見かけたのだ。

「形が不格好で、

 自由自在に

 好きな場所を

 走れるわけでは

 なかったが、

 記憶は

 鮮明に残り、

 大人になっても

 忘れることは

 なかった。

 それが

 自動車開発に

 進ませたのだ」

 後に

 フォードが

 述懐しているが、

 それほど

 強い衝撃を

 受けたのである。

 しかし、

 フォードが

 具体的な行動を

 起こすまでには、

 3年の年月を

 要した。

 そして、

 前期の

 カーネギー

 ロックフェラーのように

 会社勤めの中で

 ステップ・バイ・ステップで

 収入をアップしていくことは

 なかった。

 いや、

 転職の連続であった

 というほうが

 いいだろう。

 父の跡を継いで

 農作業に従事するも、

 どうしても

 好きになれず

 家を飛び出し、

 車輛工場の

 見習い工となったのは

 16歳の時だった。

 日給1ドル10セント。

 年代の違いはあるが、

 カーネギー

 ロックフェラーに比して

 破格であり、

 当時としても

 高賃金の部類だった。

 ところが、

 フォードは

 6日で

 そこを

 クビになるのだ。

 原因は、

 見習いであるにも関わらず、

 あまりに

 フォードが

 修理に

 熟練していたため、

 先輩たちが

 妬み、

 嫌がらせをするように

 なったからだ。

 子供のころから

 機械いじりが

 好きだった

 フォードの腕は

 それほど

 抜きん出ていたのだ。

 最初の会社を

 退職した

 フォードは、

 次に

 真鍮工場に

 勤める。

 週に60時間働いて

 6ドルの

 収入であった。

 ところが

 フォードは

 その会社も

 6カ月でやめる。

 今度は

 先輩たちの妬みが

 原因ではない。

「この会社で

 覚えることは

 何もなくなった」

 というのが

 理由であった。

 次に

 フォードが選んだ

 働き口は

 造船所。

 週給は

 2ドルと、

 以前の務めに比べると

 かなり

 条件が悪くなる。

 おまけに

 下宿代は

 それを上回り、

 アルバイトを

 せざるを得ない

 状況であった。

 それでも

 6カ月

 そこで働き、

 また

「もう覚えることは

 何もない」

 と三度勤めをやめたのである。

 そこで

 フォードは

 いったん

 実家に帰るが、

 同じ町にある

 製材所が

 フォードの腕を

 借りたい

 といってきたので

 四度職につく。

 当時としては、

 最新の

 蒸気エンジンの

 機械の操作を

 任されたのが

 勤めに出た

 一番の動機だった。

 もっとも

 そこも

 3カ月しか

 続かなかったが……。

 読者は

 フォードの

 この転職の繰り返しを

 どう判断するのであろうか。

「覚えることが

 なくなった」

 といって

 退職するのは

 あまりに

 自尊心が強すぎると

 感じるであろうか。

 それとも

 我慢強さに欠けると

 見るか。

 確かに

 フォードの

 自尊心の強さは

 普通ではない。

 しかし、

 これは

 自分の可能性に対する

 自信の発露と

 見たほうが良い。

「自分自身が

 諦めない限り、

 この世に

 不可能は

 あり得ないのだ」

 という

 強い心構えゆえに

 自尊心が高かったと

 判断するのが

 正解だ。

 

 

・ビジネスマン生活に

 スポットを当てれば、

 二十代は

「基礎を築く時期」

 である。

 この二十代を

 いかに過ごすか、

 あるいは、

 何を身につけるかで、

 三十、四十代になって

 大きな責任のある

 仕事ができるかどうかが

 決まってしまうことは、

 十代で働きに出た

 カーネギーらの例を見れば

 一目瞭然である。

 では

 まず、

 どういう

 心構えが

 必要か。

「目標を

 現在の実力より

 高く

 設定せよ!」

 つまり、

「自分の能力は

 この程度だから

 このあたりの

 仕事をしよう」

 と自ら限定するのではなく、

「能力を超えているが

 やれるかもしれない」

 と前向きにとらえ、

 より困難な仕事を

 選択し、

 やり遂げるために

 全力を投入することだ。

 カーネギー

 困難な仕事を

 次々とこなし、

 高給を

 手にしていったように、

 高いハードルに

 挑むことが

 二十代では

 最も必要なことだ。

 卑近な例を出せば、

 難しい問題を

 次々に解答させる

 塾の生徒ほど

 一流学校への

 合格率が高い。

 社会においても、

 若い時期に

 大きな仕事を

 任された人ほど、

 その後の

 昇進は早い。

 困難な問題や

 大きな仕事を

 与えられることによって

 能力が

 鍛えられるからだ。

 もっとも、

 入社早々に

 大きな仕事を

 任せられることは

 少ない。

 そこで、

 上司に認められることも

 必要になる。

 カーネギー

 毎日、

 人より

 一時間早く

 出勤し

 電信技術を

 学んだことで

 出世したが、

 何よりも

 カーネギー

「やる気」が

 上司に認められた

 結果だ。

 つまり、

 上司に認められ、

 大きな仕事を

 任せられるためには、

 何よりも

「やる気」が

 大切だということである。

 それも、

 何十人、何百人と

 ライバルが

 いるのであるから、

 自分のうちに

 秘めておくのではなく、

 たえず

「やる気」を

 アピールすることが

 求められる。

 ただし、

 ただ

「やる気」があると

 アピールするだけでは

 説得力がない。

 現在は

 二十代に限らず

「一生勉強の時代」

 であるといって

 差し支えないが、

 それにしても、

 特に

 二十代は

「何事も

 勉強の時代」

 である。

 仕事の合間をぬって

 図書館で

 歴史書などを

 貪り読んだ

 カーネギー流でも、

「会社は

 知識を得るところ」と

 次々と

 転職した

 フォード流でも

 型式はこだわらない。

 また、

 仕事に関する

 専門知識を

 深めるのか、

 それとも、

 あらゆるものに

 好奇心を発揮して

 広い知識を

 吸収するのか、

 それも

 どちらが

 正解ということもない。

 とにかく、

 二十代の勉学は

 将来への投資であり、

 学ぶことが

 多ければ多いほど

 大きな利殖となって

 返ってくることになる。

 

 

・社会に出て

 働く時間だけでなく、

 あらゆる面において、

 現代人よりも

 確実に

 十年早く

 生きた

 カーネギー

 ロックフェラー、

 フォードが、

 それぞれ

 鉄、

 石油、

 自動車を

 一生の仕事として

 選択したのは

 二十代後半から

 三十代にかけてである。

 その例を待つまでもなく、

 サラリーマンとして

 責任のある地位につき、

 仕事に生きがいを感じ、

 充実の日々を送るのが

 三十代である。

 あるいは

 独立し、

 自分で

 事業を始める人も

 いるかもしれない。

 いずれにしても、

 この三十代は、

 その後の

 人生の生き方を

 決定する年代である

 といっても

 過言ではない。

 私の生まれ故郷である

 台湾も

 八十年代以降

 急速に進歩し、

 ハイテク産業も

 育ちつつある。

 そこで

 活躍する人の中に

 蘇永霖君という

 優秀な人材がいるが、

 彼も

 また

 三十代に

 ライフワークを

 決定するにあたり

 大きな決断をした。

 蘇君は

 アメリカの

 一流大学の大学院に

 留学、

 そのまま

 アメリカの

 ハイテク企業に

 研究者として

 残った。

 それが

 三十半ばに

 帰国を決意、

 台湾で

 会社を

 興すことになるのだが、

 アメリカにおいては

 優秀な頭脳と意欲だけでは

 出世できず、

 自分を

 アピールするテクニック、

 コネクションなども

 評価の対象で、

 素晴らしいプランを

 出しても

 採用されることが

 少なかったのが

 ひとつのきっかけである。

 読者は

 後ろ向きの判断と

 思うかもしれない。

 しかし、

 車社会のアメリカで、

 下半身が

 不自由で

 車の運転ができない

 という

 ハンデを

 乗り越えてまで

 留学した

 蘇君にとって

 それだけが

 理由ではない。

 台湾を含め

 東洋人は、

 自分を

 アピールするのは

 不得手というより、

「何も言わなくても

 素晴らしいプランなら

 わかってもらえる」

 という

 気持ちが強い。

 そして

 何よりも

「独立したい」

 という

 長年の夢があり、

 それが

 帰国を

 決意させたのだ。

 ただし、

 一からスタートである。

 急成長したとはいえ、

 まだ

 ハイテクの土壌も

 整備されていない。

 資金の調達、

 人材の確保、

 そして

 何より

 技術の開発、

 蘇君は

 早朝から深夜まで

 働く毎日を

 繰り返した。

 どうにか

 一年目で

 利益が出た。

 だが

 その利益の大半は

 再び投資に。

 もちろん

 収入は

 アメリカ時代より

 低くなった。

 それでも

 蘇君は、

「やり遂げたという

 充実感で、

 収入は気にならない」と、

 上場という

 目標に向かって

 邁進している。

 一概に

 独立を勧めるわけではないが、

 現在の地位に満足せず、

 独立したいとの

 願望があるのであれば、

 着々と

 準備をする必要があるし、

 決断も要する。

 それが、

 三十代である。

 一方、

 会社とともに

 人生を送ると

 決める人にとっての

 三十代は、

 リーダーとしての

 スタートだ。

 たとえ

「長」

 とは付かないまでも、

 若手のリーダーとして

 先頭に立って

 働く時期である。

成功哲学』の著者である

 ナポレオン・ヒルは、

 人間は

 リーダー(指導者)と

 フォロアー(従属者)の

 二通りのタイプに

 分かれる。

 また、

 同じリーダーといっても、

 部下の

 尊敬と理解を

 集めるタイプと

 力づくで

 リーダーの地位を築く、

 いわゆる

 覇者タイプに

 分かれるが、

 結局は

 部下の指示を得る

 リーダーだけが

 生き残れる、

 といっている。

 したがって、

 初めになすべきことは

「リーダーになろうと

 しているのか」

 あるいは、

「フォロアーになろうと

 しているのか」

 を明確にすることであり、

 リーダーを目指すのであれば、

 覇者的リーダーではなく、

 部下から

 尊敬と理解を

 集めるリーダーになれ

 とアドバイスしている。

 では、

 リーダーとしての

 条件は

 何であろうか。

 これまた

 ナポレオン・ヒルによれば、

「勇気」

「自己統制力」

「正義感」

「決断力」

「計画性」

「思いやり」

「責任感」

 などが

 必要といっている。

 どうやら、

 本を読んで

 知識を吸収するだけでなく、

 幅広い知識、

 人間的魅力を磨くことが

 大切なようである。

 そのためには、

 社内だけでなく

 社外の人とも

 積極的に

 交わることが

 求められるであろう。

 このように、

 三十代は

 より具体的に

 人生を描く時期であり、

 行動に移す時期である。

 

 

・四十代といえば、

 社会における地位も

 確定する時期である。

 管理職から

 トップを目指そうとする人も

 いれば、

 出世とは別の

 専門の知識を生かす

 ポジションにつく人も

 いるだろう。

 中には

 社外に

 活躍の場を

 求める人もいるし、

 はたまた

 転職や独立を

 決意する人もいる。

 そして

 五十代、

 定年というゴールも

 迫ってくる。

 いずれにせよ、

 この四、五十代こそ、

 自分の能力を

 最大限に

 発揮する時期であり、

 それだけに、

 能力、

 自分の置かれている立場を

 よく見つめ直すことが

 必要であるし、

 確たる自分、

 いわゆる

「自分の哲学」

 というものを

 身につけることが

 肝心である。

 ただ、

 ここで

 心しなければ

 ならないのは、

「人生

 そろそろ

 先が見えてきた」

 などと

 諦め、

 悲観しないことである。

 フォードが

 ようやく

 自動車で

 成功し始めたのは

 四十になってからである。

 カーネギーにしても、

 念願のスチールが

 ものになったのは、

 日記に引退をほのめかした

 三十三歳よりも

 ずっと後の

 四十も近くなってからのことだ。

 そして

 実は、

 四十歳を過ぎるまでに

 想像力や才能を

 十分に発揮する人は、

 一部の天才を除いては

 ほとんどいない

 ということだ。

 四十から六十歳、

 この二十年間こそ

 大多数の人にとって

 自分の

 能力や才能を

 最大限に

 開花させる時期であることを

 確認しよう。

 

 

・ある大手保険会社の

 外務員の場合、

 毎年

 一定以上の

 契約獲得者を表彰する

 制度があるが、

 表彰を受ける

 半数以上は

 六十一歳から六十五歳までで

 占められており、

 実に

 三十代の

 三倍にも

 のぼるそうだ。

 仮に

 体力が

 多少落ちてきても、

 保険についての

 正確で豊富な知識、

 顧客との信頼関係、

 そして

 何よりも、

 長年培われてきた経験が

 生かされているわけだ。

「本当に

 活気のある

 人生は、

 決して

 年をとるにつれて

 衰えるものではない」

 どうやら、

 四、五十代にかけてが

 能力を

 最大に発揮される

 時期であるとの

 前言を

 訂正しなければ

 ならないようだ。

 それどころか、

「もう年だから」

 などと

「心の中に

 限界を

 設けない限り、

 人生には

 限界なんて

 存在しない」

 ということである。

 エジソン

 八十歳にして

「ゴム質を含んでいる

 植物の栽培」

 という

 新しい

 研究テーマに

 取り組んだ。

 ルネサンス時代の

 偉大な芸術家

 ミケランジェロ

 八十八歳にして

 仕事に熱中していた。

 七十五歳で死ぬまで

 決して

 発明をやめなかった

 ベルは言う。

「観察を続け、

 観察したことを記憶し、

 ある物事について、

 何故、

 どうして

 と増え続ける疑問について、

 解答を探している人は、

 誰もが

 決して

 思考力の低下を

 起こさない」

 1916年に

 二十二歳で

 ソ連から

 アメリカに渡った

 ローズ・プルムキン。

 彼女は

 苦労しながらも

 家具のディーラーとして

 成功。

 1983年には

 七十七億円で

 投資会社に

 会社を売却して

 引退したが、

 それに飽き足らず、

 なんと

 九十五歳にして

 また

 再び

 新しい会社を設立、

 孫たちとは

 一線を画しながら

 ビジネスの社会に

 復帰した。

 人生には

 進歩か

 後退しか

 ないのである。

 自分は

 もう完成された人間だと

 思ったら、

 それ以上の

 飛躍はない。

 まだまだ

 たくさん

 やりたいことがある。

 それを

 ひとつひとつ

 やっていこう、

 そういう

 意気込みのあるところに、

 人生における

 成功があるのだ。

 

 

・まず

 自分の人生だけに

 集中せよ!

 

 

・仕事や勉学の

 能率をアップさせ、

 ひいては

 時間を節約するために、

 まず

 身につけるべきは

 集中力である。

 いや、

 集中力の発揮こそ、

 すべての人に

 平等である

 時間を

 最も有効活用する

 方法であるし、

 成功を

 短時間で獲得する

 方法である

 といって

 過言ではないだろう。

 

 さて、

 集中力といえば

 エジソンの特許のようであるが、

 1901年に創立された

 ノーベル賞

 その栄えある

 第一回物理学賞を受賞した

 レントゲンも、

 また

 並外れた集中力を

 発揮した

 偉大な物理学者であった。

 1895年11月8日、

 50歳になっていた

 レントゲンは、

 いつものように

 大学の実験室で

 実験を繰り返している最中に、

 ある不思議な現象に

 出くわした。

 結果的に

 これが

 X線の発見に繋がるのだが、

「私は

 何か

 重要なものを

 発見した。

 しかし、

 私の考えが

 正しいかどうか

 よくわからない」

 と、

 その時点では

 生来の

 注意深い性格ゆえに

 多くを語ることは

 なかった。

 そのかわり

 レントゲンは

 どうしたのか。

 なんと

 それから

 約7週間というものの間、

 実験室から

 外出することなく、

 短い睡眠と食事以外に

 中断することもなく

 実験を続けたのだ。

 そして

 ついに

 クリスマスの3日後には

「新しい種類の

 光線について」

 という

 論文をまとめ、

 新しいエネルギーの光線を

 X線と

 命名したのである。

 

 歌曲集

美しき水車小屋の娘

 や

白鳥の歌

 などの曲を

 つくった

 シューベルト

 彼は

 いったん

 曲のイメージが湧くと、

 授業中だろうと、

 人が訪ねてこようと、

 テーブルの前に

 小さな体をかがめ、

 話し声や物音に

 煩わされることなく、

 作曲を進めた。

 ある日の午後、

 シューベルト

 ゲーテの詩集を開き、

 大きな声を出して

 朗読していた。

 そこに、

 貧しい彼を

 助けようと

 五線紙を手にした

 二人の友人が

 訪ねてきた。

 しかし、

 創作中の

 シューベルト

 朗読をやめない。

 それどころか、

 部屋の中を

 歩き回りながら

 朗読を進めるうちに、

 次第に

 興奮してきて

 顔を輝かせ、

 やがて

 椅子に腰を降ろすと

 ペンを走らせ、

 きわめて

 短時間の間に

 ある曲を

 完成させた。

 それが

「魔王」

 である。

 

 1896年6月の

 ある日の午前2時、

 血走る目、

 伸び放題の髭面の

 フォードは

 最後のリベットを打ち、

 ガソリンを注ぎ込んで

 ついに

 第一号の試作車を

 完成させた。

 32歳であった。

「できたぞ!」

 フォードは

 仲間と手を取って

 喜ぶが、

 それも一瞬であった。

「でも

 どうやって

 この車を

 外に出すんだい?」

 なんと

 フォードらは、

 試作車の完成に

 熱中するあまり、

 研究に閉じこもった

 小屋のドアの大きさを

 忘れていたのだ。

 それほどまでの

 集中力であった。

 結局

 フォードは

 斧を持ち出し、

 研究所の出口を

 壊して、

 試作車を

 路上で

 スタートさせることに

 成功したのである。

 

 

マリオ・プーゾ原作の

ゴッドファーザー』、

 フランシス・コッポラによって

 映画化され

 一躍世界で

 脚光を浴びたが、

 プーゾに

 それを書かせた

 担当編集者が

 ウイリアム・ターグだ。

 そのターグが

 編集者の

 ある1日を

 日記に示しているので

 紹介しよう。

 九時までに

 出社すれば良いが、

 八時半に

 オフィスに到着。

 まず、

 郵便物に

 目を通し、

 返事が

 必要なものについては、

 秘書にタイプしてもらうために

 メモを書き込む。

 2、3通の返事は

 自らタイプ。

 続いて、

 送られてきた

 2冊の本に

 目を通す。

 オフィスで

 新人作家に会う予定に

 なっているので、

 手直ししてもらう部分などを

 ノートに書きこむ。

9時45分、

 新人作家が来社。

 ノートにしたがって

 書き直し部分を依頼。

 出版間近の本の

 カバー用原稿を

 30分で仕上げる。

11時、

 2本の原稿が届く。

 1本は家で読むことにする。

12時、

 ビジネスの相手と昼食。

 オフィスに戻ると

 電話が数本きていたので

 処理する。

 緊急会議1時間。

4時半、

 仕事の整理、

 手紙に署名。

 他のセクションの人と

 打ち合わせ。

5時半、

 タクシーで帰宅。

7時、

 自宅で

 ブラジルからきた

 出版人に会う。

 8時から11時まで

 近くのレストランで

 食事をしながら

 打ち合わせ。

11時、

 会社から

 持ち帰った原稿を

 50ページ読む。

眠る前に

 今日一日の反省。

 明朝の編集会議について

 考える。

 いくつかの企画の検討。

 やがて就寝。

 

 さすがに

 優秀な編集者、

 この場合

 ビジネスマンと

 置き換えても

 なんら差し支えないが、

 朝の時間の使い方、

 仕事の進め方、

 そして

 自宅での時間の使い方、

 一日の終わり方、

 どれをとっても

 参考になることが多い。

 これらを参考にしながら、

 どうすれば

 1日24時間を

 有効活用することが

 できるのか

 見ていくことにしよう。

 

 

「人生とは、

 1日1日の

 積み重ねである。

 そして、

 その1日の始まりは

 朝である。

 したがって、

 朝の目覚めが

 さわやかであれば、

 その日1日は

 楽しく過ごせるし、

 それを

 毎日繰り返せば、

 おのずから

 楽しい人生を

 送れるはずだ」

 小説家、

 詩人、

 劇作家、

 そして

 自然研究家、

 政治家と

 活躍のフィールドは

 多岐にわたり、

 その精神活動の分野は

 まさに

 宇宙的広大さを

 持っていた

 ゲーテの言葉だ。

 家庭で、

 会社で、

 学校で、

 気持ちよく

 人に接し、

 働き、

 そして

 勉学し、

 充実した1日を

 過ごせるかどうかは

 朝のスタートの

 仕方にかかっていることは

 いうまでもない。

 さわやかな毎朝でありたい。

 同時に

 朝は

 時間を

 余分に生み出す

 宝庫でもある。

 時間管理の面から

 朝ほど

 大切な時間はない。

 ゲーテは言う。

「1日の時間を

 有効に使いたかったら、

 どんな事情があるにせよ、

 朝、

 目を覚ましたら、

 すぐさま

 飛び起きることだ。

 寝床で

 ぐずぐずしているのが

 一番いけない」

 R・ジョセフも

『1日24時間を

 どう使うか』

 の中で、

 ある人の言葉を

 引用している。

「どんな場合でも

 1日20分

 ないし

 50分を

 節約する方法を

 学びました。

 朝、

 目を覚ましたら

 すぐ

 飛び起きることです。

 毛布をはねのけて

 飛び起きる

 習慣をつけることが

 余裕のある時間を持つための

 最初の行為です」

 さわやかな朝を迎えること、

 寝床でぐずぐずしていないこと、

 これが

 まず

 基本である。

 

 

「私が持っている

 資産の中で

 一番大切なものは、

 お金ではなくて

 時間であることが

 よくわかる。

 何故なら、

 時こそ

 人生だからである」

 ロバート・シュラーは

『信念』

 の中で

 こう述べているが、

 その

「時」

 のスタートは

 いうまでもなく

 朝である。

 そして

 個人差はあるものの、

 朝の時間は

 他の時間に比べて

 能率がアップする。

 まさに

「朝を制するものは、

 1日を制する」

 のである。

 早朝における

 精神状態ということに関して

 こんな事実がある。

 ドイツの

 ある学者が、

 1日における

 人間の精神状態の

 変化を測定しようと、

 瞳孔の大きさを

 調べたところ、

 午前2時から6時までが、

 瞳孔が

 一番小さくなっていたそうだ。

 これは

 何を意味しているかといえば、

 瞳孔というのは

 緊張したりすると

 大きくなり、

 ゆっくり

 くつろいでいる時には

 小さくなる。

 つまり、

 午前2時から6時にかけては、

 最も心が穏やかな

 状態にあるということだ。

 そういえば、

 禅僧が

 早朝

 まだ暗いうちに

 瞑想をするのも

 納得できる。

 

 

・信念は、

 このように

 逆境を克服させ、

 成功を呼び込む。

 いや

 正しくいえば、

 信念が

 潜在意識と

 結びつくとき

 不可能はなくなり、

 すべては可能になる。

 そればかりか、

 回復が困難と思える

 病気すら

 退けてしまうことがある。

「あることを、

 3時間

 真剣に考えて、

 自分の結論が正しいと

 思ったら、

 3年かかって考えてみても、

 その結論は

 一緒だよ」

 と、

 決断の人であり、

 時間の使い方に

 長けていた

 アメリカ第32代大統領

 フランクリン・ルーズベルト

 言っている。

 彼も

 信念によって

 病を克服した人だ。

 ルーズベルト

 裕福な家庭に育ち、

 28歳の時には

 ニューヨーク州上院議員

 当選するなど

 順風満帆であったが、

 39歳の時に、

 突然

 小児麻痺に襲われるという

 不幸に見舞われた。

 激しい痺れ、

 ベッドで寝たきりの生活、

 足が不自由になり、

 杖なしでは

 歩くことも

 できなくなった。

 それでも

 ルーズベルト

 心の中から、

 一つの信念が

 消え去ることは

 なかった。

「大統領になって、

 国を、

 国民を

 良くしたい」

 結局、

 病気から7年後、

 ニューヨーク州知事として

 カムバック。

 それから

 4年後には

 大統領に就任した。

 時期悪く

 アメリカは

 不況に苦しんでいたが、

「我々が

 恐れなければ

 ならないのは、

 恐怖それ自身である」

 と

 国民を

 自信喪失の状態から

 救い出すため、

 先頭に立ち、

 次々と

 政策を実行に移した。

 信念が深まれば、

 このように

 明らかに

 不可能と思えることでも、

 可能になってくるのだ。

 それは、

 ルーズベルトの先輩である

 ウィルソン

 第28代大統領も

 同じだ。

 ウィルソンは

 幼少の時から

 病弱であったが、

「自分が

 大任を果たすまでは、

 神は

 守護くださる」

 との信念で

 虚弱体質を乗り越えて

 最高の地位に

 登ることが

 できたのみでなく、

 世界平和への貢献を

 成し遂げたのだ。

 あるいは、

 ルーズベルトやウィルソンは

 遠い存在でありすぎて

 ピンとこない

 という人も

 いるかもしれない。

 そんな人でも

 次に紹介する例を

 知れば、

 信念は

 奇跡を起こす

 ということを

 実感するであろう。

 たびたび

 紹介してきた

成功哲学』の著者である

 ナポレオン・ヒル

 息子の話だ。

 息子は、

 医者から

 一生

 ろうあ者として

 過ごさなければならないと

 宣言されたように、

 耳がない障害児で

 生まれた。

 だが、

 ナポレオン・ヒルは、

 その著書の中で

 記している。

「私は

 医者の言葉を

 信じなかった。

 私には

 そうする権利があると

 思ったからである」

「私は

 息子が

 聞いたり、

 話したりする

 能力を持っているはずだと

 信じていた。

 方法さえ見つかれば、

 息子は

 正常になることが

 できるはずだと

 信じていた」

 そのためには

 何をすべきか。

「耳がなくとも

 音を

 頭脳に伝達する

 方法があるはずだ、

 という

 私の

 燃えるばかりの

 願望を、

 信念を、

 我が息子に

 植えつけることが

 先決だと考えた」

 何を馬鹿な!

 そんなこと不可能だ!

 と感じる読者も

 いるかもしれない。

 しかし、

 ナポレオン・ヒル

 ただ

 ひたすら

 可能性を

 信じた。

「私は

 誰にも

 打ち明けなかったが、

 ただ毎日、

 息子は

 ろうあ者ではないのだ、

 と

 それが

 信念となるまで

 自分に

 言い聞かせ続けたのだ」

 息子に

 確固たる願望を

 植えつけること、

――いつの日にか

 聞こえることが

 可能になることを

 信じさせるー-

 ナポレオン・ヒルと息子は

 願望の炎を燃やし、

 信念を育てる共同作業を

 続けた。

 ついに

 事態は

 好転した。

 あるきっかけが

 見つかった。

 ナポレオン・ヒルは、

 息子の

 頭蓋骨の

 斜め下のほうにある、

 少しとがった骨に

 唇を当てて

 しゃべってやると、

 よく聞こえるように

 なることを

 発見した。

 また、

 息子が

 20歳になったころ、

 ある補聴器を

 耳に相当する部分に

 当てると、

 ついに

 音を聞くことが

 可能になった。

 そればかりではない、

 息子は

 補聴器の

 改良点やアイデア

 補聴器メーカーに提供、

 収入も

 約束されることに

 なったのだ。

 ナポレオン・ヒル

 述べている。

「まさに

『燃えるばかりの願望』こそ

 不可能を

 可能にする力なのであり、

 息子が

 正常な聴力を

 得ることができたのも、

 この願望の力のおかげだった」

 この願望の力、

 それは

 いうまでもなく

 信念そのものである。

 願い続け、

 信念が

 潜在意識と結びつく時

 不可能はなくなり、

 すべては

 可能になる。

 回復が困難と思える

 病気すら

 退けてしまうのである。

 

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