ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.122 『臨機応答・変問自在』森博嗣 集英社新書 ー抜粋17箇所

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『臨機応答・変問自在』

   森博嗣

     集英社新書

 

 

 

「先生は、

 どうして

 こんな

 つまらない本を

 出版するのですか?」

「同感です。

 その質問には

 いずれ

 答えたい。

 ところで、

 君は

 どうして

 そんな

 うまらない質問を

 しなければ

 ならないのですか?

 どうして

 そんな

 つまらない人生を

 生きているのかな?」

「つまらないかどうか、

 生きてみないと

 わかりませんよ」

「まったく

 同感だ」

 

 

・問題を解くことに

 没頭するあまり、

 人々は

 自ら問いかけることを

 忘れがちである。

 特に、

 正直な子供ほど

 こうなる可能性が

 あるだろう。

 問題を

 与えられ、

 それを

 正しく解くことだけに

 満足し、

「正解だ」

「一番だ」

 と誉められて

 喜びを感じてしまう

 ケースも多い。

 ゲームなど多くが

 その典型とも

 いえる。

 それが

 間違っている

 という意味ではない。

 その問題を作ったのは

 誰なのか、

 その問題を

 自分たちに掲示している

 仕組みは

 何か、

 という

 客観を持つことが

 重要なのであって、

 そこに

 一段高い視点が

 存在する。

 つまり、

 問題を解く前に、

 その問題は

 何故

 生まれたのか、

 それを解くことの

 意味は何なのか、

 問題自体が

 間違っている可能性は

 ないのか、

 という

 問いかけが

 大切なのだ。

 

 

・人は、

 どう答えるか

 ではなく、

 何を問うか

 で評価される。

 

 

・そういったわけで、

 授業では

 質問をさせ、

 その質問の内容で

 学生を評価しよう、

 と考えた。

 問うことを

 義務づけることは

 幼稚なやり方では

 あるけれど、

 訓練とは

 そもそも

 幼稚なものから

 始まるものだ。

 幼稚なことを

 繰り返し、

 経験を

 積み重ねるうちに、

 人は

 自然に

 ノウハウを

 身につける、

 と期待したい。

 

 また、

 最初から

「何か

 質問してやろう」

 という

 意気込みで

 講義を聴くことが、

 少なからず

 効果のあることだと

 わかった。

 ここに、

 単なる

 受け身の授業なのか、

 積極的に参加する授業なのか、

 の違いがある

 ともいえる。

 ただし、

 これは

 個人の

 積極性によるものであって、

 授業のシステムによる

 改革だと

 考えるのは

 思い上がりであろう。

 授業の

 やり方、教え方の

 影響など、

 実に

 取るに足らないものでしかない、

 と教育者は

 まず

 認識すべきだと思う。

 

 

・さて、

 質問を受けて、

 それに

 答えるには、

 ある程度のテクニックが

 必要である。

 知らないことを

 質問されたら

 困る、

 と心配する教師も

 いるだろう。

 しかし、

 知らないことは

 全然

 恥ずかしいことではない。

 百科事典が

 世界で一番偉いと

 思っている人は

 いない

(いても

 ごく少ないだろう)

 わけで、

「知らない」

 とは、

 倉庫の中に

 まだ余裕がある、

 という

 意味であって、

 むしろ

 喜ばしい状況ではないか。

 だから、

 それを

 恐れてはいけない。

 自分が

 何を知らないかを

 認識していさえすれば良い。

 

 質問に対する

 答え方の

 基本的な心得を

 以下に挙げる。

 たった今、

 独断と偏見で

(という常套句を思いついて)

 考えながら

 書く事項であって、

 これらを

 紙に書いて

 日頃から

 研究室の壁に

 貼っているわけではない。

 だから、

 軽い気持ちで

 読んでほしい。

 

①情報を問う質問には、

 情報が存在する範囲で

 答え、

 その情報を得る方法を

 教えれば良い。

②意見を問う質問に関しては、

 意見を誇張して

 ずばり答えるか、

 あるいは、

 その意見を問う理由、

 意見をひとつに

 絞らなければならない理由、

 を問い返す。

③人生相談、

 あるいは

 哲学的な質問に関しては、

 まず

 定義を問い返す。

④個人的な質問に関しては、

 ある面は誇張して答え、

 ある面はかわす。

⑤自分で解決しなければ

 意味がないことを

 気づかせる。

 

 要は

 ⑤が最も重要だ。

「そんなことは

 自分で調べろ」

「自分で考えろ」

 という

 内容を

 それとなく

 示唆する。

 質問と回答は

 一対一であっても、

 他の学生も

 そのやり取りを

 見ている

(読んでいる)

 わけで、

 ある程度の

 ウィット

(発想か言葉の言い回し)

 がアトラクションとして

 あると良い。

 ②、③、④のあたりは

 それである。

 

 

ワープロばかり

 使っていて

 漢字を忘れると

 悲しくないですか?

 手紙を書く時は

 どうするのですか?」

→何かを

 忘れられるのは、

 その分、

 頭を

 他のことに

 使えるわけだから

 嬉しい。

 人間は

 歩けるようになると、

 はいはいを忘れる。

 はいはいを忘れて

 悲しいですか?

 手紙は

 ワープロで書く。

 稀に

 手で書く時は、

 必ず

 ワープロで下書きして、

 それを見ながら

 書く。

 

 

「新しいことを

 知るたびに、

 人間は

 色んなことを

 考えるものだと

 思う」

→そう思う。

「新しい」

 という言葉は

 非常に大切。

 足が速い、

 力が強い、

 という

 能力と同じように、

 新しいものを感じる能力が

 人にはある。

 

 

「成功するために

 必要なもののうち、

 99%は

 努力で、

 残り1%は

 才能だ

 といいますが、

 先生は

 才能というものが

 存在すると

 思いますか?」

→思います。

 努力できることが

 才能。

 だから、

 成功は

 100%

 才能だと思う。

 才能は

 持って生まれたものではなく、

 思い立った時に、

 あるいは、

 やる気がある時に

 生まれるもので、

 いつでも

 消える。

 自分自身を

 どれだけ

 コントロールできるかが

 才能です。

 

 

「僕の

 ある友人が

 最近

 繰り返しの毎日に

 気づき、

 そんな生活に

 不安と不満を

 持ち始め、

 自分の

 存在価値と目標を

 失いがちなのですが、

 先生は

 その友人を知らないので

 無茶な質問なのは

 わかりますが、

 どうすれば良いと

 思いますか?

 また、

 何か

 良い気分転換などは

 ありませんか?

 先生も

 そういう時期が

 ありましたか?

 こういうことを

 きくのは

 馬鹿馬鹿しいですか?」

→後ろから

 答えましょう。

 馬鹿馬鹿しくはない。

 誰にも

 そういう経験は

 あると思う。

 森の経験則では、

 次のことが

 言えます。

「何かに

 悩んでいる人は、

 解決策を

 知らないのではなく、

 最良の解決策を

 面倒でしたくないだけだ」

 その友人には、

 まず、

 自分の部屋を

 片付けることを

 すすめましょう。

 

 

「『先生、

 こんなこと

 勉強して

 何になるんですか?』

 に対して、

 『君は

 生きていて

 何になるんですか?』

 というのが

 先生の答ですが、

 それでは、

 『先生は

 生きていて

 何になるんですか?』」

→「わからない、

 それを知りたいから

 一応

 生きている」

 というのが

 答です。

 勉強して

 何になるのか

 知りたかったら

 勉強するしかない。

 何も知りたくなければ、

 死んでいるのと同じ。

 君は

 何故

 大学にいるのですか?

 何かを知るために

 きたのではないですか?

 そうでなければ、

 授業料が無駄だよね。

 

 

「読んでおくと

 将来

 自分のために

 なるような本を

 教えてください。

 別に

 ジャンルは

 何でもいいです」

→それは

 君が選ばないと

 意味がありません。

 

 

「最近

 やる気が

 出ないのですが、

 どうしたら

 やる気が

 出るように

 なりますか?」

→嫌々でもやること。

 やる気がなくても

 やっていれば、

 そのうち

 何とかなるでしょう。

 

 

「今日は

 久しぶりに

 頭を使いました。

 他にも

 面白そうな

 問題があったら

 教えてください」

→もう少し

 頭を使って

 生きてください。

 問題は

 山のようにある。

 問題を見つけることが

 一番の問題です。

 人は、

 餌を待っている

 飼い犬では

 ありません。

 

 

「先生は

 授業中に

『どこを調べれば

 その答が書いてあるかさえ

 知っていれば良い』

 というようなことを

 話していましたが、

 それは

 つまり、

 先生のテストは、

 持ち込み可

 ということですか?」

→当たり前の質問を

 しないように。

 人生には、

 テキストも

 ノートも

 助っ人も、

 何でも

 持ち込めます。

 

 

「『つまらない

 授業ですね』

 と言いながら、

 何故、

 笑顔で

 授業を

 進めるのですか?」

→仕事だからです。

 お金で雇われている。

 ボランティアではない。

 好きでしているわけでは

 ありません。

 学生は

 好き好んで

 お金払って

 大学に来ているのに、

 どうして

 嬉しそうに

 授業を

 受けないのでしょう?

 

 

「来週も

 問題を

 出してください」

→問題は

 いくらでも

 出すけれど、

 単位のためでないと

 頭が動かせないという、

 不自由さを

 感じましたか?

 

 

・学生たちの

 科学に関する

 質問は、

 はっきりいって

 非常に

 幼稚である。

 難関を突破し、

 工学部に入学した

 若者がこれか?

 日本の

 将来の工業は

 どうなる?

 と危惧する向きも

 あるかもしれない。

 しかし、

 それは

 この数十年の

 技術の進歩が

 早過ぎた証拠だと

 いっても良い。

 筆者らの世代は、

 壊れた機械の

 中身を覗けば、

 だいたい

 仕組みが

 わかった。

 電子回路だって

 何とか

 理解できた。

 だが、

 世の中の進歩は

 とうに

 個人の

 理解能力を

 追い越して

 しまったのである。

 何も知らなくても、

 いろいろ

 便利な道具が

 使えるようになった。

 ブラックボックス化した、

 といえる。

 たとえば

 CDで

 音楽を

 楽しんでいても、

 それが

 どんな原理で

 音楽を

 記憶し

 再生しているのか

 知らない人のほうが

 圧倒的

 多数だろう。

「昔のものは

 だいたい

 わかった」

 と言う人もいるが、

 では

 ヘリコプタが

 どうやって

 前進するのか

 ちゃんと

 説明できる人は

 千人に一人も

 いないだろう。

 ディテールを

 見ていけば、

 いろいろなレベルで

 不思議が

 身の回りに

 溢れている。

 いちいち

 気にしていたら

 生活ができない。

 それらを

 鵜呑みにしないと

 生きていけない

 時代になった、

 ということだ。

 ただ、

 そういった

 不思議に

 埋もれているうちに、

 不思議を不思議だと

 感じるセンサが

 退化してしまうことは

 人類にとっての

 マイナスだろう。

 それだけは

 認識しておきたい。

 

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