ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ独学読書ノートNo.64 『なぜ生きる』高森顕徹監修 明橋大二・伊藤健太郎著 一万年堂出版 ー抜粋32箇所

f:id:ReincarnationLove:20220311124928p:plain

 

にほんブログ村 本ブログ 本・読書情報へ
にほんブログ村

 

『なぜ生きる』

   高森顕徹監修

   明橋大二伊藤健太郎

    一万年堂出版

 

 

 

・はたして

 人生の目的は、

 あるのか、

 ないのか。

 

 

「万人共通の

 生きる目的は、

 苦悩の根元を

 破り、

 “よくぞ

 この世に

 生まれたものぞ”の

 生命の大歓喜

 得て、

 永遠の幸福に

 生かされること

 である。

 どんなに

 苦しくとも、

 この目的

 果たすまでは

 生き抜きなさいよ」

 

 

・ひとは、

 なんのために

 生きるのか。

 

 

・どんな行動にも

 目的があります。

 たとえば、

 タクシーに

 乗ったとき。

 いかに

 無口な人でも、

 まず

 行く先を

 告げるでしょう。

 目的地が

 わからねば、

 どこへ

 走ればよいか

 困るからです。

 むやみに

 車を走らせたら、

 時間とお金が

 無駄になります。

 

 

・イソップの

「アリとキリギリス」

 の話では、

 夏のあいだ

 働いたアリは、

 冬は

 楽しく

 遊ぶことが

 できました。

 ところが、

 人間は、

 夏は

 もちろん、

 冬も

 働きつづけなければ

 なりません。

 

生命保険より不動産運用がお得!?

 

・あなたの人生は

 たぶん、

 地元の

 小・中学校に

 行って、

 塾に通いつつ

 受験勉強をして

 それなりの

 高校や大学に

 入って、

 4年間

 ぶらぶら

 遊んだあと

 どこかの

 会社に

 入社して、

 男なら

 20代後半で

 結婚して

 翌年に

 子どもを

 つくって、

 何回か

 異動や昇進をして

 せいぜい

 部長クラスまで

 出世して、

 60歳で

 定年退職して、

 その後

 10年か20年

 趣味を生かした

 生活を送って、

 死ぬ。

 どうせ

 この程度の

 ものだ。

 しかも

 絶望的なことに、

 これが

 もっとも

 安心できる

 理想的な人生なんだ。

 

 

ニーチェ

道徳の系譜』に、

 なぜ生きるかが

 わかれば、

「人間は

 苦悩を

 欲し、

 苦悩を

 探し求めさえ

 する」

 と書いています。

 方向さえ

 正しければ、

 速く走るほど

 早く

 目的地に

 着きますから、

 損をする

 苦労は

 一つも

 ありません。

 人生の

 目的成就のためならば、

 時間、

 体力、

 お金を

 どれだけ

 使っても、

 100%

 それらは

 生かされます。

 使い捨てには

 ならないのです。

 

 

・一人の

 遭難者を

 助けるために、

 レスキュー隊が

 動員されます。

 人命は

 地球よりも

 重い

 と言われている

 からでしょう。

「生きること=良いこと」、

 この大原則が

 否定されたら、

 延命を

 目的とする

 医学をはじめ、

 政治・経済、

 科学・芸術、

 倫理・法律も

 すべてが

 空中分解します。

 これらは、

「どうすれば

 より

 長く、快適に

 生きられるか」

 の追及以外ないからです。

 

 

「生きてよかった」

 と大満足する

「人生の目的」が

 なければ、

 生きれば

 生きるほど

 苦しむだけの

 一生に

 終わってしまうのでは

 ないでしょうか。

 

 

・苦しみの

 新しい間を

 楽しみといい、

 楽しみの

 古くなったのを

 苦しみという。

 

 

ラッセルが

『幸福論』で

「道楽や趣味は、

 多くの場合、

 もしかしたら

 大半の場合、

 根本的な

 幸福の源ではなくて、

 現実からの

 逃避になっている」

 と言っているように、

「趣味に熱中する楽しみ」

 とは、

 苦痛を

 一時的に

 忘れる

 時間つぶし

 ともいえるかもしれません。

 飲んだ酒に

 酔っぱらっている間だけ、

 借金を忘れて

 気持ち良くなっているのと、

 似たようなものでしょう。

 

 

「好きな道を

 歩いていれば、

 歩み

 そのものが

 楽しいのだ。

 だから、

 目的地は

 いらない」

 と言う人の、

 見落としているものは

 何でしょう。

 デュルケムも

『自殺論』に

 論じているように、

「歩く行為

 そのものが

 楽しいのは、

 目的なき

 歩みに

 むなしさを

 感じないほど、

 盲目的な間だけ」

 です。

 

 

「考えてみるとだね、

 一生

 働き続けて

 この家の

 支払いを済ませ、

 やっと

 自分のものになると、

 誰も

 住む者は

 いないんだな」

 ボロボロになるまで

 働いたあげく、

 ウイリーは

 苦難に満ちた

 生涯を

 閉じます。

 保険金で

 借金は

 なんとか

 返済されましたが、

 本人は

 この世には

 いませんでした。

 ウイリーが

 何を

 販売していたか、

 作品では

 明かされて

 いません。

 売っていたのは

「命」

 だからです。

 

 

・どうして

 人は、

 別れねば

 ならぬのか。

 どうして

 人は

 消えてゆく

 のでしょう。

 ヒルティは、

 なるほど

 愛は

「心の底に

 しみとおる

 幸福では

 あるが、

 あらゆるものを

 破壊する

 不幸とも

 なりかねない」

 と忠告し、

 次のように

 書いています。

「愛情の幸福に

 すっかり

 身をゆだねる

 人の

 心情が

 深く、

 かつ

 純粋であればあるほど、

 その人は

 確実に、

 そして

 完全に、

 不幸になるであろう。

 死によって

 この

 苦い経験から

 のがれるのでないかぎり」

 

 

「もう戻れないよ

 どんなに懐かしく想っても

 あの頃確かに

 楽しかったけど

 それは今じゃない」

(End roll)

 と浜崎あゆみの詞にも

 あるように、

 あの頃が

 どんなに

 楽しかったとしても、

 それは

 戻れぬ

 昔であり、

「今」は

 楽しくないのです。

 思い出には

 “甘さ”こそあれ、

 今を

 楽しくする

 “力”は

 ありません。

 

 

・子どもが

 結婚して

 自分から

 去ったあと、

 うつ病になる

 婦人が多く、

「空の巣症候群」

 と名づけられています。

 別離が

 それだけ

 つらいのは、

 お腹を痛めた

 子は命だからでしょう。

 

 

・もっと

 金を

 稼げば

 良かったと、

 死の床で

 後悔した者が

 いるだろうか。

 

 

・報われない人生を

 ショーペンハウエルは、

「苦痛と退屈の

 あいだを、

 振り子のように

 揺れ動く」

 と形容しました。

 

 

「目的なんて、

 考えなくても

 生きられるよ」

 と強弁する人は、

 幸福なのでも

 不幸なのでも

 ありません。

 おそらく

 多忙

 なのでしょう。

 

 

「真仮を知らざるによりて、

 如来広大の恩徳を迷失す」

「真仮を知らざる」とは

 真(=生きる目的)と

 仮(=趣味や生きがい、目標)との

 違いを知らない、

 ということです。

 人生の目的を

 知らないから、

 “人間に生まれて良かった”

 という

 生命の歓喜がないことを、

如来広大の恩徳を迷失す」

 と言われています。

 本当の

 人生の目的を

 達成したとき、

 一切の

 苦労は

 報われ、

 流した涙の

 一滴一滴が、

 真珠の玉となって

 その手に戻るのです。

 

 

・人は、なぜ生きるか。

 古くて

 新しい

 この問いは、

 2400年前、

 ギリシアの哲人

 プラトン

 対話篇『ゴルギアス』でも

 論じられている。

 そこに

 登場する

 カリクレスの

 答えは、

 欲望の広がるままに、

 出来るだけ多く、

 欲を満たす

 工夫と努力をするのが、

 人間のあるべき姿だ、

 というものである。

 

 

・科学を

 何に使うか、

 その目的を

 教えるのが

 宗教の役目だ、

 とアインシュタイン

 訴えた。

『私の世界観』

 という

 本には、

「人生の意義に

 答えるのが

 宗教だ」

 とも書いている。

 21世紀が

「宗教の時代」

 といわれるのは、

 もっとも

 大事な

 人生の目的を、

 はっきり

 指し示す

「真の宗教」が、

 希求されている

 からであろう。

 

 

・人生の目的は、

「苦しみの波の

 絶えない

 人生の海を、

 明るく

 わたす

 大船に乗り、

 未来永遠の

 幸福に

 生きることである」。

 

 

・難思の弘誓は、

 難度海を度する大船、

 無碍の光明は、

 無明の闇を

 破する慧日なり。

 

 

・未来が

 暗いと、

 現在が

 暗くなる。

 現在が

 暗いのは、

 未来が

 暗いからである。

 

 

「今までで、

 一番

 嬉しかったことは?」

「どんなときが

 幸せ?」

 と聞かれて、

 即答できる

 人は

 どれだけであろう。

「いやあ、

 何か

 いいこと

 あったかなあ……」

 という程度の

 記憶しか

 残っていないのが

 実態ではなかろうか。

「寝るときが

 一番

 幸せかな」

 という

 若者の声は、

 生きがいや

 趣味のむなしさを

 語るに

 充分であろう。

 

かんたんインスタ集客ツール【GOEN】

 

「もし、

 この書を

 見聞せん

 者は、

 信順を因となし、

 疑謗を縁となし、

 信楽を願力にあらわし、

 妙果を安養にあらわさん」

 

全く新しいフォロワー獲得システム【GOEN】

 

・もし

 人生に

 目的がない

 とするならば、

 人は

 苦しむために

 生まれ、

 生きていることに

 なるだろう。

 

 

「呼吸のあいだ、

 すなわち

 これ

 来生なり。

 ひとたび

 人身を失いぬれば、

 万劫にもかえらず。

 この時

 さとらざれば、

 仏、

 衆生

 いかがしたまわん。

 願わくは

 深く無常を念じて、

 いたずらに

 後悔を

 のこすことなかれ」

 

 

「深信」とは、

 文字から

 想像するような

「深く信じて疑わない」

 ということではない。

「信じる」と

「深信」とは

 異なる。

 どこが

 違うのか。

 信じるのは

 疑いがあるからである。

 疑う余地が

 まったくないことは

「知っている」

 という。

「深信」とは、

「露チリほどの

 疑いもなく、

 明らかに

 知らされたこと」。

 

 

・世界で

 最大のことは、

 自己を

 知ること

 である。

 

 

・戦争は

 心の中で

 始まるのだから、

 平和の砦は

 心の中に

 つくらねば

 ならぬ。