ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.108 『なぜ日本人はこんなに働いているのにお金持ちになれないのか』渡邊賢太郎 いろは出版 ー抜粋38箇所

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『なぜ日本人はこんなに働いているのにお金持ちになれないのか?』

 21世紀のつながり資本論

   渡邊賢太郎

     いろは出版

 

 

 

・私は、

 リーマン・ショックを機に、

 お金について

 学ぶために

 世界を旅しました。

 そして、

 気づいたのです。

 日本人が

 こんなに

 働いているのに

 お金持ちになれない

 理由は、

「日本人が、

 世界一、

『お金とは何か?』

 を知らないからだ」

 と。

 イギリスなどの

 先進国と比べても、

 インドなどの

 後進国の人々と比べても、

 私たちの

 お金に関する

 知識と経験は、

 圧倒的に

 不足していました。

 

 

フランシス・ベーコン

→金は

 良い召使いだが

 場合によっては

 悪い主人でもある。

 

月額275円からの「宅配型トランクルームminikura」

 

・カフェやレストランに

 入れば、

 安い店でも

 6GBP

 使います。

 地下鉄も初乗りで

 4GBPからと、

 公共交通機関

 他の国と比べて

 かなり高く、

 総じて

 物価は高い国です。

 ただし、

 少し郊外に移ると

 99ペンスショップという

 日本でいう

 100円均一のような店もあり、

 人々の

 生活水準に応じて

 幅広い

 選択肢がある

 ともいえます。

 

 その首都、

 ロンドン。

 世界金融の中心

 といわれる

 この街には、

 石造りの

 荘厳な建物が

 並びます。

 この一画に

 イングランド中央銀行

 博物館があります。

 ロンドン名物の

 二階建ての

 赤いバスを降り、

 入口に着くと、

 何故か

 小学生くらいの

 子供が

 わんさか

 いました。

 どうやら、

 社会見学のようです。

 その様子を見て、

 この博物館は

 子供向けの飾りなのか、

 と少し気がそがれましたが、

 セキュリティゲートを

 くぐって

 子供たちの後に

 続きます。

 すると、

 正面入り口にある

 何かに

 子供たちが

 群がっている様子が

 見えました。

 

「インフレーション」を

 小学生の頃から学ぶ国。

 

 子供たちは、

 何やら

 画面を

 覗き込みながら

 必死に

 操作しています。

 スーパーマリオのような

 ゲームを

 楽しんでいるようです。

 画面の右側に向けて

 進んでいく気球を

 上下させながら

 操縦するという、

 シンプルなゲーム。

 これが

 なかなか

 難しい。

 気球を

 上昇させようとして

 気を抜くと

 行き過ぎてしまうし、

 慌てて下降させると、

 今度は

 墜落してしまいそうに

 なります。

 実は

 これが、

「インフレーションとは

 何か?」

 を体験する

 アトラクションだったのです。

 展示物の

 説明書きには、

 このように

 書かれていました。

「これは、

 物価コントロール

 舵取りの

 難しさを

 上昇と下降を

 繰り返す

 気球の操縦に

 見立てて

 体験できる

 アトラクションです」

 と。

 はたして、

 日本に

「インフレーション」

 という

 言葉を聞いて

 的確に

 説明できる

 大人は

 どのくらい

 いるでしょうか。

 そんな

 取っつきにくい言葉が、

 博物館の

 一番

 最初に、

 そして

 何より、

 小学生の子供たちに向けて

 展示されている。

 そのことに

 私は

 衝撃を

 隠せませんでした。

 

 

・このとき、

 あらためて

 実感した事実として、

 まず

 挙げられるのは、

 日本人、

 特に

 私たち

 30代以下の世代は、

 知識と経験の両面で、

「お金に関する教育」を

 ほとんど

 受けていない、

 ということです。

 私自身、

 小・中・高・大学を経ても、

 お金について

 学ぶ機会は

 なかったと

 思います。

 もちろん

 経済について

 学ぶことはあっても、

「お金とはなにか?」

 という

 本質的な問いについて、

 具体的に

 考え抜く機会は

 ありませんでした。

 学校だけでは

 ありません。

 家族や友達とも

 アルバイトの

 時給についてくらいしか

 お金の話はしたことが

 ありませんでした。

 その原因は、

 どこにあるのか?

 その一つに、

 日本人が持つ

「お金=汚いもの」

 という

 無意識の感覚が

 挙げられます。

 私たちは、

 お金の話を

 一種のタブーとして

 扱ってしまっているのです。

 ある投資教育を

 実践している教師が

 全国の

 中学校や高校を

 まわるたびに

「お金って

 きれいなものですか?

 それとも

 汚いものですか?」

 という

 質問をすると、

 約500人の

 生徒のうち

 8割弱が

「汚い」

 と答えたそうです。

 日本人は、

 勤勉に働き、

 ボーナスを喜び、

 お金を

 強く求める一方で、

 お金を汚いものとして

 避けてもいる。

 そのような矛盾が

 お金に関して

 根本的な

 知識のない大人を

 生んでいるのでは

 ないでしょうか。

 私たちは

 まず、

 この植えつけられた

 矛盾を捨て、

「お金とは、

 正しく

 学ぶべきものなのだ」

 と認識を

 改めることから

 始めなければ

 いけません。

 何故なら、

 お金は

 本来、

 人間が

 より便利に、

 より幸せに

 なるために

 生み出した、

 偉大な発明なのですから。

 

 

・お金に関する

 教育の大切さは、

 ノーベル平和賞でも

 有名な

 バングラデシュ

 グラミン銀行

 取り組みからも

 わかります。

 銀行として、

 超金利

 貧しい人々に

 お金を貸すだけでなく、

 お金に関する

「教育の機会」を

 与えたのです。

 手に入れたお金を

 単なる消費として

 まわすのではなく、

 お金を投資して、

 付加価値を生み出し、

 増やす

 という

 意識や、

 借りたお金を

 期限までに返すことが

 信頼関係に

 つながる

 という

 意識を

 持たせました。

 今では

 10万人以上の人々が

 グラミン銀行から

 融資を受け、

 お金についての知識を

 身につけ、

 世界最貧国と呼ばれた

 過去から、

 一歩ずつ

 抜け出そうと

 しています。

 お金とは、

 国語や

 算数、

 理科や

 社会、

 そして

 近年、

 声高に叫ばれている

 英語教育と

 同じくらい

「学ぶべき」もの

 なのです。

 

 

・イギリスの中で、

 金融資産を

 100万ドル以上持つ、

 いわゆる

 富裕層は

 51万世帯、

 これは

 アメリカ、

 中国、

 日本に次いで

 世界第4位の数字です。

 ただ、

 大事なのは

 この後の数字です。

 金融資産を

 1億ドル以上持つ

 イギリスの

 超富裕層は

 1044世帯とされ、

 この数は

 アメリカに次いで

 世界第2位となる数字、

 ちなみに、

 日本は?

 というと、

 15位以内にすら

 入っていません。

 くわえて、

 日本とイギリスの

 個人金融資産の内訳にも

 大きな差が

 現れています。

 金融に関する

 知識が不足している

 日本では、

 個人金融資産の

 6割近くが

 現預金。

 つまり、

 銀行に

 預けられています。

 一方、

 イギリスでは、

 年金保険や

 株式、

 投資信託など

 金融の知識を

 必要とするものの

 割合が

 7割を超え、

 現預金は

 わずか3割程度に

 とどまっています。

 これらの数字にも、

 日本とイギリスの

 お金に関する

 教育レベルの差が

 現れていると

 いえます。

 

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・旅をしている間は、

 値札のない売店など

 当たり前の存在ですが、

 よく考えてみてください。

 日本で、

 商品の値段が

 書いていない

 電器店

 訪れたことは

 あるでしょうか?

 いくつかの

 お店をまわり、

 店主に

 値段を聞いてみるものの

 値段はバラバラ。

 ある店の

 おじさんが

「これは

 30ルピー、

 こっちは

 50ルピーだよ」

 と足元から

 二つの湯沸かし器を

 引き出して

 見せてくれました。

 ほとんど

 違いが

 わからなかったので

「どう違うの?」

 と聞くと、

「安いほうが

 中国製で、

 高いほうは

 インド製。

 もちろん

 インド製のほうが

 信頼できるから

 高いに決まっているだろ」

 とのこと。

 ボロボロの

 石畳の上で

 軽くバランスを

 取りながら、

 なるほど、

 そういうものかと

 思いつつ、

「ありがとう。

 けど、

 他も見てくるよ」

 と離れようとすると、

 おじさんが

 私を呼び止めます。

「ちょっと待て。

 じゃあ、

 中国製なら

 20でいいぞ」

 とのこと。

「え?

 じゃあ、

 こっちの

 インド製のは?」

「そっちは

 40」

「なるほど……。

 やっぱり、

 他を

 見てくるよ」

「OK。

 じゃあ

 10で」

「じゃ、

 インド製の

 こっちは?」

「だから、

 そっちが

 10でいいよ」

 と。

「え?」

 思わず、

「なんじゃそりゃ」

 と

 日本語で

 声を出してしまいました。

 

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・道中の値段交渉を

 通して、

 ふと湧いた

 疑問があります。

 それは、

 私たち

 日本人は

 圧倒的に

 値段交渉に

 慣れていない

 のではないか、

 ということです。

 何故か?

 それは

「定価」

 という

 流通を

 スムーズにするための

 サービスに、

 あまりにも

 慣れすぎているからです。

 普段の生活の中で、

 私たちが

 値段交渉をすることは

 ほとんど

 ありません。

 コンビニでも

 電器店でも、

 たいていは

 値札に書いてある通りの

 価格で

 購入しています。

 その一方で、

 値段のない鮨店

 入ることは

 かなり勇気がいる

 行為だと

 皆さんも

 感じておられるでしょう。

 値札があることで、

 私たちは

 知らず知らずのうちに、

 モノの価値を

 自らの目で

 見極め、

 交渉する力を

 失ってきたのでは

 ないでしょうか。

 そして、

 このような力は、

 特に

 日々

 大金を扱う

 ビジネスの世界では

 必要不可欠なものです。

 

 

・インド人に

 優秀な

 ビジネスマンが多い

 理由は、

 数学が得意な

 民族であるとか、

 激しい競争を

 勝ち抜いているなど

 色々な理由があると

 思いますが、

 小さいころから

 慣れ親しんできた、

 値札のない

 買い物という

 暮らし方が

 影響していると

 思わずには

 いられません。

 実際、

 起業家の聖地と呼ばれる

 アメリカの

 シリコンバレー

 起業家の

 4人に1人が

 インド人だとも

 いわれます。

 彼らの

 成功の秘密は、

 ネゴシエーション・スキル

 =交渉力に

 あるそうです。

 インドでは

 何を買うにも

 値札がない。

 すべて、

 売り手と買い手の

 交渉によって

 値段が決められる。

 そんな環境の中で

 生きれば、

 子供の頃から

 タフな交渉力が

 身についてくるのは

 当然だと。

 

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・ちなみに、

 私たちが

 慣れ親しんでいる

「定価」

 という

 概念を

 つくったのは、

 実は

 日本人だと

 いわれています。

 世界で初めて

 一般向けの

 定価販売を始めたのは、

 我らが日本の

 三井高利が開いた

 越後屋(後の三越

 であると

 いわれているのです。

 幸いにも、

 企業や政府の

 たゆまない努力によって、

 日本にいる

 私たちが

 目まぐるしい

 価格変化に

 さらされることは

 ありません。

 しかし、

 そのような

 環境に甘えて、

 モノの価値を

 自らの目で

 見極める力を

 養わないまま

 生きていくことは、

 決して

 未来ある

 お金との

 付き合い方では

 ないでしょう。

 後述する

「新しいお金の世界」では、

 その力こそが

 非常に

 重要になってくるのです。

 

 

・前提として

 認識して

 いただきたいことは、

 お金とは、

 人間がつくった

 道具であり、

 仕組みだということです。

 そのルールも

 時代に応じて

 変わってきました。

 だからこそ、

 お金には

 クロニクル

(歴史)が

 あります。

 今に続く

 お金の源流が

 生まれた国、

 貨幣や紙幣が

 世界で初めて

 生まれた国、

 世界を

 実際に旅しながら、

 その歴史を

 紐解いていきたいと

 思います。

 

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・お金について

 学ばなければ、

 お金に

 振り回される

 人生を送ることになる。

 

 

・カール・サンドバーグ

→お金というのは

 力であり、

 自由であり、

 心痛を和らげる

 クッションであり、

 また、

 あらゆる

 悪の根源でもあるが、

 一方、

 最大の幸福にも

 なるのである。

 

 

・余談ですが、

 現在

 日本では

 多くの

 お年寄りの方が、

 使い切れない

 お金を

 誰にも

 託すことなく、

 亡くなっています。

 2011年には、

 亡くなった方の

 4.1%が

 相続税を納め、

 その額が

 実に

 1兆2520億円弱にも

 及ぶといいます。

 これは、

 この方々が

 計1兆円近くの

 お金を残して

 亡くなったことを

 意味します。

 私たちは、

 死ぬまでに

 使い切れないほど、

 お金をためこんでいるのです。

 

 

・「お金」が

 発明されて

 初めて

 人々は

 好きなことを

 仕事にする

 自由を

 手にした。

 

 

・お金という

 道具が

 生まれたことにより、

 人々は

 富を蓄積し、

 より広範囲で、

 長い時間をかけて

 交換を行うことが

 できるように

 なりました。

 それまでには

 つくることの

 できなかった

 巨大な建造物や

 製品の研究開発を手がけ、

 その結果、

 人々の暮らしは

 飛躍的に

 豊かになって

 いきました。

 

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・これは、

 文明や経済の

 発展の歴史が、

 お金という概念の

 発展の歴史

 そのものであることを

 意味します。

 その理由は、

 お金の発明により、

 モノとモノの交換が

 スムーズになったから、

 というだけでは

 ありません。

 実は、

 人間は

 お金を発明して

 初めて、

 好きなことを

 仕事にする自由を

 手に入れたのです。

 たとえば、

 本を書くことが

 好きな人が

 いるとします。

 本を書いているだけでは

 生活に必要な

 食糧を

 得られないので、

 お金という概念が

 なかった時代は、

 1日のうちの

 何割かは、

 どうしても

 食糧などの

 生活に必要なモノを

 つくる時間に

 あてなければ

 なりませんでした。

 あるいは、

 それが

 できなければ

 社会の

 役立たずとなり、

 生きていくことも

 ままならなかったのです。

 しかし、

 お金という概念が

 生まれた後は

 どうでしょう。

 その人は、

 自分が書いた本の

 質を高め、

 誰かに認められる

 価値のあるものにすることが

 できれば、

 その本を読みたい

 他の誰かと

 お金を媒介として

 交換することが

 できます。

 そして、

 それで得た

 お金を使って、

 また

 別の誰かと

 食糧を交換することが

 可能になりました。

 現代こそ、

 お金を稼ぐことと

 好きなことを

 仕事にすることは、

 まったく

 別の話として

 語られますが、

 もともとは、

 お金とは

 人間の

「働く」

 という

 行為を

 多様で

 豊かにする

 発明だったのです。

 だからこそ、

 現代でも

 私たちの

「お金に対する価値観」と

「働き方」の間には、

 密接な関係があるのです。

 

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・トルコが位置する

 アナトリア半島は、

 世界で最初の

 貨幣(コイン)が

 生まれた地域です。

 古代ギリシアの歴史家

 ヘロドトスが書いた

『歴史』

 という書物に

 登場する、

 紀元前7世紀頃から

 栄えた

 リディアという国で、

 世界最初の貨幣

エレクトラム鋳貨」が

 発明された

 といわれています。

 

 

・羊や豚が

「お金」

 として

 扱われたことも

 あった。

 

 

・交換の媒介物として、

 何かが

 お金として

 扱われるために

 必要な機能は

 大きく

 3つです。

 1つ目が

 価値の交換と

 支払いの手段になること。

 2つ目が

 価値の尺度たりえること。

 そして

 3つ目が

 価値の蓄積保存が

 できることです。

 先述したように、

 当時

 貴重な鉱物であった

 金は、

 交換と支払いの

 手段になり、

 1つ目の機能を

 果たしました。

 そして、

 金は100g

=羊1頭、

 リンゴ100個、

 小麦100㎏

 というように

 価値の尺度にもなり、

 2つ目の機能たりえます。

 さらに、

 金は腐らないので、

 次に交換が

 必要な時まで

 ためておくことができ、

 価値の蓄積保存

 という

 3つ目の機能も

 備えていました。

 

 

・実際には、

 これらの機能を

 担うことができれば

 何でも

 お金になります。

 世界には、

 羊や

 豚、

 羽や

 煙草、

 貝殻や

 布、

 ラム酒

 奴隷、

 麦や

 米などが

 交換の媒介物となった

 例もあるようです。

 しかし、

 3つの機能を

 より確実にするためには、

 誰もが

 価値を認めていて、

 軽くて

 丈夫で、

 分けやすく、

 腐りにくいもので、

 交換が活発になるたびに

 増やせるものであったほうが

 都合がいい。

 そこで、

 鉱物をしようしたお金、

 すなわち

「貨幣」が

 生まれます。

 金貨や銀貨、銅貨が

 それにあたります。

 貨幣ができる前は、

 不揃いな金を

 交換に用いていたので、

 そのたびに

 はかりで

 重さを調べる

 必要があり、

 とても面倒でした。

 しかし、

 貨幣であれば、

 1枚に使われる

 お金の量が

 同じであるため、

 いちいち

 重さを量る

 必要がなく、

 とても便利になります。

 それにくわえて、

 エレクトラム鋳貨には

「確かに金で

 できていて、

 どれも

 同じ重さだよ」と、

 リディアの王様が

 品質を保証する

 証として、

 王の紋章である

 ライオンの印が

 刻まれていました。

 これにより、

 いっそう

 利便性と信頼が

 高まった結果、

 ギリシアやローマへと

 広まり、

「金貨」「銀貨」

 として

 流通する歴史が

 つくられていきます。

 

 

・戦後、

 日本やヨーロッパ各国が

 経済力を

 回復させると、

 アメリカが

 他国に

 お金を支払う

 量が増え、

 徐々に

 USドルが

 海外へ流出するように

 なりました。

 さらに、

 1965年の

 ベトナム戦争

 介入したことで、

 財政赤字とインフレにより、

 国際収支の

 赤字が拡大。

 1966年には

 ついに

 外国が持つ

 ドル紙幣の合計が、

 アメリカが保有する

 金の保有額を

 上回ってしまいました。

 もし

 仮に、

 世界中の国が

「ドル紙幣を

 金と換えてくださいな」

 と言ってきても、

 アメリカには

 すべての要求に

 応えるだけの金が

 なくなったのです。

 

 

・そして、

 その状況に

 耐えきれなくなった

 当時の

 アメリカの首長、

 ニクソン大統領が

「もう

 我が国は

 USドルと

 金の

 交換はやめます」

 と宣言したのが、

 1971年の

ニクソン・ショック

 です。

 実質的に、

 この時から

 世界中のお金は、

 まさに

 ただの

「紙切れ」

 となりました。

 この紙切れになった

 お金を

「不換紙幣」

 と呼びます。

 現代の

 私たちの財布に

 入っているお金

(紙幣)は、

 実物としての価値を

 持っている

 金や銀との交換を

 約束されていません。

 これは、

 言い換えれば、

 お金が

 物質的な制約から

 解き放たれた

 ということでも

 あります。

 以後、

 何との交換も

 約束されず、

 ただ信用だけで

 価値が成立する

 紙切れが

 お金として

 世界に流通し、

 地球規模の

 巨大な

 金融システムを

 つくることに

 なります。

 同時に、

 この時から、

 お金は

 これまでの

 単なる

「交換の媒介物」

 という

 存在から、

 人と人との間にある

「信頼の媒介物」

 としての

 特性を

 強めていきました。

 

 

・ここで

 注目すべきなのは、

 アメリカでは、

 クレジットカードを

 保有することが

 その所有者の

 社会的な信用度に

 直結している、

 という点です。

 クレジットカードを持てる

=クレジットカード会社が、

 その人の

 職業や

 収入、

 住居などの

 社会的な信用度を

 認めている

=社会的に

 信用できる、

 という

 考えがあります。

 日本とは違い、

 多様な価値観を

 持ち、

 文化的背景の

 異なる移民によって

 構成されている

 アメリカのような

 国だからこそ、

 人々の信頼度を

 客観的に測る仕組みが

 不可欠だったのだと

 考えられます。

 そして、

 ここに

「新しいお金の世界」

 に向かう際の

 重要なポイントが

 あります。

 個人の信用度によって、

 その人の使える

 お金の量が決まり、

 信用がなければ、

 お金を使うことすら

 できない、

 ということです。

 

 

・皆さんに

 覚えていただきたいことは

 3つだけです。

 1つは、

 今の私たちがいる

 お金の世界も、

 ほんの40年前に、

 人間によって

 つくり出された

 仕組みでしかないこと。

 2つ目は、

 現代のお金は

「不換紙幣」

 となり、

「信用の媒介物」

 となっていること。

 3つ目は、

 信頼がなければ、

 お金を使うことすら

 できない

「新しいお金の世界」

 が到来し始めている

 ということです。

 

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・他者から

 自分への

 信頼がなければ、

 人は

 お金を

 使えない

 時代が

 到来した。

 

 

バーナード・ショー

→20代の頃より

 10倍

 金持ちになったという

 60代の人間を

 見つけることは

 簡単だ。

 だが、

 そのうちの

 誰もが

 10倍

 幸せになったとは

 言わないはずだ。

 

 

・正直、

 バングラデシュに入る前は、

 それなりに

 緊張していました。

「世界最貧国」

 という

 言葉は、

 私に

 過酷な旅を

 予感させたのです。

 しかし、

 実際に

 この国で過ごした

 3週間は

「快適で」

「豊かな」

 ものでした。

 バングラデシュ滞在中の

 3週間、

 私は、

 首都ダッカ在住の

 シプーさんという

 画家のお宅に

 お世話に

 なっていました。

 ダッカ大学の

 アートスクール出身の

 シプーさんは、

 毎晩

 食事を済ませると、

 奥さんと

 一緒に

 大学そばの公園に

 リキシャで向かいます。

 私も

 到着早々に

 ご一緒させて

 もらいました。

 この公園には

 夜な夜な

 アートスクールの

 学生や卒業生が

 集まって、

 絵画など

 自身の作品を

 並べたり、

 音楽を奏でたり、

 屋台のチャイを

 飲み交わしながら

 親睦を

 深めています。

 その場に

 集まっている

 シプーさんの

 友人たちに

 紹介され、

 挨拶をすると、

 誰もが

 流暢な英語で、

 明るく

 出迎えてくれました。

 それが

 バングラデシュ

 1日目の夜、

 予想していた

 過酷な旅との

 ギャップに、

 私には

「この国は

 豊かなんじゃないか?」

 という

 仮説が

 生まれました。

 その後、

 3週間という

 時間を

 過ごしましたが、

 この国は

 確かに

 豊かでした。

 正確に表現すれば、

「心豊か」な

 国だったのです。

 中でも

 印象に残っているのは、

 ダッカ北部の

 小さな村の結婚式に

 参加した時のことです。

 縁あって、

 私は

 結婚式の前日に

 新郎の実家に

 宿泊を

 させていただくことに

 なりました。

 お昼すぎに到着すると、

 新郎の

 兄弟や家族は

 もちろん、

 その子供たちが

 集まっていて、

 躍りあり、

 歌ありの

 大変

 賑やかな

 空間でした。

 一方

 その間、

 新郎のお母さんを

 中心に

 女性たちは

 せっせと

 鶏をさばいたり、

 野菜を切ったり

 していました。

 夜になると、

 両手を広げても

 抱えきれないくらい

 大きな丸い銀皿に、

 お米と鶏肉が

 煮込まれた

 大量のビリヤニ

 盛られて

 出てきました。

 丸皿を

 家族で囲むと、

 皆、

 次から次に

 右手を使って

 直接

 自分の口に

 運んでいきます。

 一瞬

 ひるみましたが、

 私も

 郷に入りては

 何とやらで、

 お米を掴んで

 口の中へ。

 これが、

 美味しい。

 日本で

 家族と鍋をつつく感覚に

 近いのですが、

 今日

 初めて会った

 ご家族とも

 昔から

 家族だったような、

 そんな一体感が

 湧いてきました。

 食事の後には、

 新郎の

 兄や姪っ子たちと

 すごろくのようなもので

 遊びます。

 それは、

 まるで

 祖父母が元気だった頃に

 田舎で過ごした

 お正月のような

 感覚でした。

 本当に

 不思議なのですが、

 言葉は

 ほとんど

 通じていないはずなのに、

 とても

 温かい気持ちになったことを

 思い出します。

 結婚式当日も、

 私の役割は、

 とにかく

 出される料理を

 食べることと

 新郎新婦の

 写真を撮ることでした。

 その後、

 新婦の実家の周りの

 田んぼで

 子供たちと

 遊んでいる時、

 広大な田園風景と

 豊かな緑に、

 私は

 日本の田舎の風景を

 見ました。

 お金があるわけでは

 ないけれど、

 水は綺麗で、

 豊かな自然に

 囲まれ、

 自分たちが食べるものは

 自ら育て、

 何より

 家族や周囲の人々と

 強い絆で

 結ばれている。

 信頼関係に

 満ち溢れた、

 幸せな時間でした。

 

 

・もちろん、

 首都ダッカには

 スラムと呼ばれる

 場所があり、

 私たちからすれば

 住むことは

 容易でない環境で

 人々が

 生活をしています。

 食べ物を持って

 道を歩いていると、

 子供が寄ってきて

「中身を分けて」

 と言ってくることも

 あります。

 痩せさらばえた

 おじいちゃんが

 筋張った足を

 突っ張らせながら、

 3人家族を乗せ、

 リキシャを

 懸命に

 こいでいる姿も

 見られます。

 当然、

 多くの人々にとって

 テレビや

 冷蔵庫、

 洗濯機などは

 贅沢品であろうし、

 彼らは

 それを

 手に入れるために

 必要なだけの

 お金を

 持っていません。

 しかし、

 それでも

 この国の人々は

 心豊かだと

 私は

 感じたのです。

 印象的なのは、

 何より

 友人や家族と

 過ごす時間を

 大切にしていることだと

 思います。

 経済的には

 圧倒的に貧しい、

 この国の

 人々の笑顔は、

 東京の

 満員電車に

 乗っている

 私たちの

 あの苦渋な表情からは、

 どう考えても

 程遠いのです。

 このような経験を通じ、

 私の中に、

 また一つの

 仮説が生まれました。

 それは

「お金がないことと、

 心が貧しいことは

 別だ」

 ということ。

 そして、

 現在の

 お金の世界に

 生きる

 私たちは、

 お金があることを

 幸せになるための

 必要条件として、

 思い込んでいるのではないか、

 ということです。

 では、

 その仮説を

 検証するために、

 まず、

「お金持ち」とは

 どういう状態なのか、

 考えていきましょう。

 現在の

 お金の世界において、

 私たちは

 お金を使って、

 何ができるのでしょうか?

 本質的な答えを

 述べると、

 私たちは

 お金を使って、

「他者の時間」

 を使うことが

 できます。

 お金持ちたちは

 この

「他者を動かすパワー」を

 大量に持っていて、

 より多くの

「他人の時間」を

 使うことが

 できます。

 たとえば、

 お金持ちならば、

「一流デザイナーによる

 建築物に住む」

 という

 理想を

 実現できます。

 何故なら、

 対価として

 お金を支払うことで、

 デザイナーと、

 それを建てる

 大工、

 そのための

 木材を用意してくれる

 業者……、

 様々な人の

 時間を使うことが

 できるからです。

 このように、

「お金持ちになる」

 ということの

 本質的な意味は、

 人間が持つ、

 平等で

 絶対の

 資産である

「時間」を

 自らのものとして

 使える、

 ということなのでしょう。

 

 

・皆さんは

「世界最貧国」の

 定義を

 ご存知でしょうか?

 これは

 お金があるかどうか、

 つまり

 経済的に、

 物質的な

 豊かさで

 評価された

 表現です。

 しかし、

 この表現には、

 その国の人々が

 いかに

 心豊かで、

 信頼関係に

 恵まれているかについては

 考慮されていません。

 

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・なぜ日本は、

 経済的に

 豊かな国にも関わらず、

 家族や友人を大切にする

「幸せな時間」を

 増やすことが

 できていないのでしょうか?

 私が

 世界各国で

 出会ってきた

「幸せな人々」と、

 証券マン時代に

 出会ってきた

「不幸な人々」。

 両者の間で

 決定的に

 違うことは、

 やはり

「お金を稼げば、

 とりあえず

 幸せになれる」

 という

 観念が

 存在しているか

 していないか

 ということ

 なのではないかと

 思います。

 

 

・お金を

「目的」にして

 振り回される人、

 お金を

「道具」として

 使いこなす人。

 

 

・お金を

「目的」

 として

 捉える人たちは、

 次のような

 考え方を

 持っています。

 お金がないと

 幸せになれない。

 お金があれば

 幸せになれる。

 お金とは、

 自分の

 働く時間と

 交換して得るもの。

 サービスや製品の

 対価として

 支払うお金は

 なるべく

 少ないほうがいい。

 しかし、

 一方で

 無意識的には、

 お金を

 面倒くさいものとか、

 ありすぎると

 不幸になるものと

 考えていたりします。

 これは、

 お金自体の

 価値とパワーを

 盲目に信じ切って、

 それが

「道具」

 であることを

 見落としています。

 なので、

 それを

 手に入れることが

「幸せ」に

 繋がるという

 考えを持っています。

 つまり、

 お金そのものを

 生きる

「目的」とする

 考えです。

 なのに

 どこかで

 お金自体を

 汚いものとして

 捉えている。

 そう、

 私たち

 日本人には

 このような

 ネガティブお金観を

 持つ人が

 多いのです。

 一方、

 お金を

「道具」

 として

 捉えている人は、

 次のような

 考え方を

 持っています。

 お金とは、

 本質的には

 無価値だが、

 人間が発明した

 偉大なる

「信頼の媒介物」

 である。

 最も

 大切なことは、

 人と人との

 信頼関係そのものを

 醸成していくこと。

 お金とは

 自らが生み出した

 付加価値の

 対価として

 受け取るもの。

 お金を支払う

 ということは、

 その相手に

 自らの信頼を渡す

 ということ。

 だから、

 必ずしも

 安ければ良い

 というわけではない。

 お金を

 他者との信頼関係を築き、

 その信頼を交換し合い、

 自らの理想を

 実現するための

 ポジティブな

「道具」

 として

 捉えています。

 そして、

 お金を

「道具」

 として

 捉えている人は、

 保有する

 お金の量に関わらず、

 幸せな人生を

 送っています。

 反対に、

 お金を

「目的」

 として

 捉える人たちは、

 人間関係に

 問題を抱えていたり、

 どこか

 心の貧しさを負って

 生きています。

 なので、

 時に

 他者を傷つけ、

 奪ってでも

 お金を手に入れようと

 します。

 私は、

 その事実を

 世界各国で

 目の当たりに

 してきました。

 

 

アンドリュー・カーネギー

→金が貴いのは、

 それを

 正しく得ることが

 難しいからである。

 さらに

 正しく得たものを

 正しく使うことが

 難しいからである。

 

 

・私たち

 人間は、

 お金を

 コントロールできるほど

 成熟していない。

 

 

・人間は、

 実体のない、

 価値も不確かな

 お金を扱うたびに、

 欲に負けて

 何度も

 コントロール

 失敗しています。

 その自覚を

 私たちは

 持つ必要が

 あります。

 世界最初の

 チューリップ・バブル以来、

 人類は

 ずっと、

 欲にまみれ、

 理性を失い、

 お金に翻弄されては

「バブル」を

 繰り返しています。

 私が

 この旅に出る

 きっかけとなった

リーマン・ショック」も、

アメリカの

 住宅価格は

 ずっと

 上がり続ける」

 という

 人々の

 根拠のない

「盲信」と、

 一部の天才にしか

 理解できない

 高度な

金融工学」が

 用いられたことで

 引き起こされたものでした。

 私たちが

 生きている

 現在の

 お金の世界は、

 ただ単に

 世界中の人々が

 互いに

「お金には

 価値がある」

 と信じ合うことによって

 成立していますが、

 私たち

 人間は

 その仕組みを

 きちんと

 コントロールできるほど、

 お金と

 その背後にある

 仕組みを

 理解していません。

 

 

・数年前、

 トヨタ自動車

 車のブレーキが

 不良を起こしているとして、

 アメリカの

 ABCニュースで

 盛んに

 取り沙汰されることが

 ありました。

 日本では

 話題になっていない

 そのニュースを

 いち早く

 察知した

 私は、

「この話題は

 きっと

 大問題になる」

 と考え、

 数人のお客様に

トヨタの売り」を

 勧めました。

 そんな時、

 とある資産家の

 お客様に

「確かに

 そうかもしれないが、

 そんな

 意地汚い真似は

 しちゃいかんよ」

 と叱られたのを

 覚えています。

 恥ずかしながら、

 当時は

 その意味が

 よくわかりませんでした。

 実際、

 私の読みは

 当たり、

 その後、

 アメリカでは

 大規模な

 リコール問題となり

 トヨタ株は

 一時的に

 大きな下落を

 しました。

 空売りをしていれば

 利益を上げることが

 できたのです。

 しかし、

 今になってみれば、

 あの時

 叱られた意味が

 よくわかります。

 利益が上がるからといって、

 何でもして良いのであれば、

 それは

 ネガティブお金観を

 持っていることを

 意味します。

 そのような行為で

 お金を

 増やし続けたとしても、

 他者との信頼関係は

 決して

 大きくなることは

 ないからです。

 一方、

「投資」は、

 投資対象となる

 会社が

 顧客に

 喜ばれるような

 新しい商品を

 開発したり、

 営業努力を

 することなどにより、

 その会社が

 成長することで

(その会社の価値

 =信頼が上昇する)

 利益を得ることだと

 いえます。

 どちらが

 倫理的に

 正しいというわけでは

 ありません。

「投資家」であっても、

 急な相場の

 変動に対する

 リスクヘッジの観点から、

空売り」を

 行うことも

 あります。

 しかし、

 私が

 証券マン時代に

 出会ってきた

 多くの

 幸せなお金持ちは、

 皆、

「投資」はしますが

「投機」はしませんでした。

 このように、

 お金を

 信頼の媒介物として

 捉えるか、

 そうでないかによって、

 お金を

 人に託すという

 お金の使い方も、

「投資」か

「投機」といった

 意味で

 大きく

 異なってくるのです。

 

 

・1634年から

 1637年にかけて、

 美しいチューリップの

 球根が

「投機」の

 対象となりました。

 当時、

 様々な模様の

 チューリップを

「チューリップ・マニア」

 と呼ばれる人々が

 求めて、

 その球根は

 高い値を

 つけていました。

 最初は

 純粋な

 チューリップ好きによる

 取引だったのですが、

 徐々に、

「チューリップの球根は

 もっと

 値上がりする!」

 との期待によって、

 チューリップ好きでもない

 人たちまで

 その値動きに

 注目して、

 お金を投じるように

 なったのです。

 すると、

 市場における

 球根の値段は

 ますます

 上がります。

 このように、

 バブルとは、

 投資によって

 始まり、

 投機によって

 加速されるものです。

 最初は

 情報に敏感な

 一部の投資家が、

 将来

 あるべき

 そのものの価値に比べて、

 現在の価値が

 低ければ

「これは

 いずれ

 価値が

 高まる!」

 と考え、

 その事業やモノを

 安いうちに買い、

 利益を上げていきます。

 このサイクルが

 しばらく

 続くと、

 今度は

「買えば儲かるから

 買う」

 という

 投機家が

 市場に参入します。

 結果、

 そのものの

 実体価値を忘れて、

 市場価格だけが

 どんどん

 上昇していきます。

 

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・そして、

 特筆すべきなのは、

 先述したように

 お金が

 兌換紙幣から

 不換紙幣へと

 進化し、

 さらに、

 現在、

 紙という実体すら

 持たない、

 電子情報

「ビット」へと

 進化したことです。

 つまり、

 今や

 お金を

 燃やすことも、

 壊すことも

 できない、

 そして

 朽ち果てることもない、

 永遠に近い

 不変性を

 手に入れたということです。

 それにより、

 これまで

 人間にとって

 道具でしかなかった

 お金は、

 誰にも

 コントロール

 できないほどの

 巨大なパワーを

 手にしてしまいました。

 私たちは、

 そのビット化した

 お金を

 手に入れるために

 生き、

 お金がなければ

 死ぬかのような

 感覚に

 陥りました。

 そして、

 本来、

 私たちを

 豊かにするための

 道具でしかない

 お金を

 手に入れるために、

 私たちが持つ

 唯一の財産である

「生命(時間)」を

 交換に使うという、

 あべこべな状況に

 多くの人が

 陥ってしまったのです。

 ポジティブお金観を

 持たずに、

 たとえば

「時給○○円」

 という

 仕事に

 何の疑問もなく

 時間を費やし、

 そこに

 学びや、

 信頼関係を築く

 といった

 意識を待たずにいると、

 それは

 単に

 自らの生命(時間)を

 お金という

 便利な道具を

 手に入れるために

 交換しているのと

 同じです。

 

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・これまでの世界では、

 お金が

 信頼の媒介物としての

 特性を強めて以来、

 私たちの

 お金の使い方、

 消費のあり方も

「信頼を

 お金で買う」

 という傾向を

 強めてきました。

 お金が

 たくさん

 支払われることは、

 それだけ

 多くの

 信頼をされていることを

 意味する。

 つまり、

 私たちは

 お金を

 サービスや製品の

 対価として

 誰かに支払う時、

 その他者への

 信頼度に応じて、

 支払うお金の量を

 コントロール

 していたのです。

 たとえば、

 同じような服でも、

 提供している

 企業やブランドによって

 私たちが

 支払う金額は

 変わります。

 それは、

 製品自体の

 品質に寄せる

 信頼の差や、

 アフターケアなども含め、

 その製品を提供する

 企業やブランド、

 その担い手への

 信頼に対しての差が

 大きな要因と

 なっているのです。

 しかし、

 情報技術の発展によって、

 世界中の

 ひとりひとりが、

 誰とつながり、

 何を体験し、

 その体験を通じて

 互いが

 相手を

 どれくらい

 信頼しているのか、

 が記録され、

 公開されるように

 なりました。

 これは、

 世界中の

 ひとりひとり、

 また

 企業や団体の

 ひとつひとつが

 持っている信頼の

「質」と「量」が、

 言語化され、

 記録され、

 公開されることによって、

 可視化され得る環境が

 生まれつつあることを

 意味します。

 それにより、

 私たちは

「信頼を

 お金で測る」

「お金で

 信頼を買う」

 という

 行為を

 必要と

 しなくなりました。

 

 

・信頼の媒介物としての

 役割を

 インターネットが

 お金にとって代わり

 始めたことによって

 生まれた

「新しいお金の世界」。

 その新しいお金の世界で

 幸せに

 生きていくために、

 私たちは

 お金にまつわる行動を

 新しくして

 いかなければ

 ならない。

 その時、

 重要になってくる

 キーワードは

 3つです。

 1つめは

「時間的、

 空間的な

 制限からの

 解放」、

 2つめは

「つながりを

 自ら選ぶ時代」

 3つめは

「加速する

 シェアの文化」

 という

 言葉です。

 

 

・この

「所有」から

「共有」への

 価値観の

 変化とともに、

 信頼の媒介物である

 お金を使う目的も

 大きく進化しています。

 私たちは、

 お金を介した交換で

 他者から手に入れた

 商品やサービスを

 自分一人で

 消費することに、

 それほど

 大きな喜びを

 見出せなくなっています。

 何故なら、

「消費」という

 行為そのものは、

 私たち自身を

 真に豊かにすること、

 すなわち

 信頼関係を築くことに

 繋がらないことに

 気づき始めたからです。

 先日

 お会いした

 国内の

 某大手旅行代理店の

 執行役員も、

「観光は

 もはや

 単に

 観光地に行って、

 おみやげを買って、

 美味しいものを

 食べるだけでは

 見向きもされない。

 そこには

『体験』や

 人々との

 触れ合いによる

『ストーリー』

 がなければ

 成り立たなくなっている」

 とお話をされていました。

 つまり、

 商品やサービスを

 利用する際、

 私たちは、

 それを

 自分一人だけで

 楽しむのではなく、

 それを

 利用することを通じて

 誰かと繋がり、

 また、

 そこから生まれる

 喜びや付加価値を

 他者と分かち合うことを

 求めるように

 なっているのです。

 私たちが

 お金を通して

 求めるもの自体が

 変化してきているのですから、

 当然、

 私たちは、

 お金の稼ぎ方も

 それに合わせて

 変えていかなければ

 なりません。

 そうでなければ、

 手にするお金の量が

 増えないだけでなく、

 何より

 私たちを

 真に豊かにするための

 他者との信頼関係を

 築くことが

 できないのです。

 

 

・こうした変化の中で、

 いち早く、

 インターネットを通じて

 共感できる他者と

 繋がり、

 互いのリソースを

 共有して、

 新しい何かを

 つくり出そうとする

 人たちが

 現れ始めています。

 彼らは、

 互いの得意な

 技術や

 知識、

 アクセス可能な

 リソースと

 アイデア

 共有し、

 新たな

 プロダクトやサービスを

 創造します。

 それにより

 生み出された

 付加価値は、

 つくり手への

 信頼の証しとして、

 可視化されて

 いきます。

 同時に、

 何かを創造するという

 経験を共有した

 つくり手は、

 互いの信頼関係を

 より強固なものとします。

「所有し、

 交換し、

 消費する」

 という

 これまでの

 お金の世界の

 価値観は、

 もはや、

 貧しさへと続く道と

 なりつつあります。

 それに代わって、

 他者との

「繋がり」が

 資本となり、

 新たな

 仕事や豊かさを

 もたらす世界、

「共感し、

 共有し、

 共創する」

 ことで、

 つながりを

 多様で

 豊かなものにし、

 結果として

 お金も

 集まってくる世界。

 すなわち

「つながり

 キャピタリズム

 の時代が

 到来しているのです。

 そして、

 この変化は、

 私たちの

「働き方」への

 パラダイム・シフトも

 起こし始めているのです。

 

 

スティーブ・ジョブズ

→墓場で

 一番の金持ちになることは

 私には

 重要ではない。

 夜眠る時、

 我々は

 素晴らしいことをした

 と言えること、

 それが

 重要だ。

 

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