ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.80 『社員心得帖』松下幸之助 PHP文庫 ー抜粋9箇所

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『社員心得帖』

  松下幸之助

   PHP文庫

 

 

 

・今日の産業界は、

 昨日まで

 時代の先端を

 切っていた

 知識や技術が、

 今日は

 もう

 過去のものに

 なってしまう

 といったことが

 少なからず

 起こるほどの、

 急激

 かつ

 目覚ましい

 進展を

 遂げつつあります。

 しかも

 その変化は、

 今後、

 ますます

 速く

 大きくなっていくものと

 考えられます。

 今日のビジネスマン、

 社員の人たちには、

 そうした

 刻々の

 時代の進展に

 十分

 対応できるよう、

 絶えず

 自らを

 磨き高めていく努力が

 求められている

 といえましょう。

 

 

・仕事というものは、

 本来、

 きわめて

 奥行きが

 深いもので、

 やればやるほど

 豊かな味わいが

 出てくるものです。

 つまり

 “今日一日、

 自分ながら

 よくやった”と、

 自分で

 自分を

 ほめられるほどに

 一生懸命

 仕事に

 取り組む

 日々を

 重ねていってこそ、

 自分の実力が

 向上し、

 仕事の成果も

 高まります。

 また、

 その仕事を通じ、

 企業の活動を

 通じて、

 人びとの

 役に立つことも

 できて、

 社員としての

 喜びや生きがい

 といったものを、

 より豊かに

 味わうことが

 できるのだ

 と思うのです。

 

 

・会社をほめる

 という

 態度、

 心構えで

 終始している人は、

 必ず

 どこの会社にあっても

 注目されます。

 会社は

 そのような人を

 切実に

 求めているからです。

 とすれば、

 その人を

 部長、重役にせずして、

 誰をするのでしょうか。

 その人は、

 求めずして、

 重役の地位に

 ついていくことにも

 なろうかと

 思うのです。

 

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・『無理解な上司・先輩』

 新入社員は、

 初めは

 誰でも、

 上司、先輩について

 仕事を教えてもらいます。

 その場合、

 当然のことながら、

 上司、先輩には

 いろいろな人がいます。

 人格的にも

 仕事の面でも

 非常に立派で、

 親切だし、

 文字通り

 痒いところに

 手が届くような

 指導をしてくれる

 という人も

 いるでしょう。

 その反対に、

 人柄も

 ちょっと

 感心しないし、

 指導も

 あまり

 よくはしてくれない

 という人も

 あると

 思います。

 その場合、

 どちらの

 上司、先輩に

 ついたほうがいいか

 ということです。

 これは、

 常識的に

 考えれば、

 当然

 立派な先輩に

 ついたほうがいい

 ということに

 なるでしょう。

 それは

 何も

 仕事に限りません。

 何事でも、

 いい指導者、先生につけば、

 その技が

 上達するし、

 だから

 先生を選ぶことが

 肝心だと

 一般に

 いわれますが、

 私も

 その通りだろうと

 思います。

 非常に

 うまく指導してくれる

 師匠、

 世間で

「非常に

 いい先生だ」

 といわれるような

 理解のある人について

 習っていくことは、

 きわめて

 好ましいことだと

 思うのです。

 けれども、

 その反面に、

 そういうところからは、

 いわゆる

 “名人”は

 出にくいとも

 考えられます。

 というのは、

 先生が

 よければ、

 どうしても

 先生の通りにやる

 ということに

 なってしまいますから、

 ある程度のところまでは

 一様に上達するけれども、

 それ以上に

 画期的なものは

 生まれにくい

 という

 一面がある

 と思うのです。

 その点、

 むしろ

 非常に

 無理解というか、

 非常識とも

 いえるような

 先生のもとで

 修行した人の中からは、

 名人といわれる人が

 出る場合が

 多いようです。

 当然

 ほめられて

 いいことに対してでも、

 めちゃくちゃに

 言われる。

 “ばかばかしい。

 もう

 やめてしまおう”

 と思う場合が

 何度もある。

 しかし、

 それでも

 耐え忍びつつ

 我慢して

 やっていく。

 そして

 何ものかを

 自ら

 会得した人に、

 先生を超えるような

 名人が

 出てくる

 ということでしょう。

 これは

 非常に

 面白い点だ

 と思いますが、

 そういうことも

 また

 人間の妙味

 といえるのでは

 ないでしょうか。

 ですから、

 理解ある

 立派な先輩に

 ついた人は、

 それはそれで

 感激し、

 そのことを

 喜んでいいと

 思いますが、

 一見

 無理解と

 思われる

 先輩に

 ぶつかった人も

 “これは、

 自分が名人になれる

 チャンスだ”

 というように、

 積極的に

 受けとめては

 どうでしょうか。

 そこに

 自分を

 大きく

 伸ばしていく

 道があるのでは

 ないか、

 そんな気がするのです。

 

 

・性別や

 年齢、

 ものの考え方など、

 いろいろの面で

 異なる人々が

 相寄って

 仕事をしていくのが

 職場です。

 したがって、

 そこには

 やはり

 お互いの間を

 滑らかに

 支障なく

 動かすための

 潤滑油が

 いるわけです。

 その役割を

 果たすのが

 礼儀作法だと

 思うのです。

 

 

・僕は、

 皆さん

 ご承知のように、

 この会社の

 最高責任者として、

 一番

 たくさんの

 月給を

 もらっている。

 それが

 いくらか

 ということは

 ここでは

 言わないが、

 かりに

 100万円なら

 100万円とする。

 その場合、

 僕が

 100万円の仕事を

 していたのでは、

 会社に

 何ら

 プラスしない。

 僕の考えでは

 少なくとも、

 1000万円の

 仕事をしなくては、

 この会社は

 立っていかないだろう

 と思う。

 あるいは

 1億円、2億円の

 仕事をしなくては

 ならないだろう。

 そういう

 働きが

 できているかどうか

 ということを

 自問自答しつつ、

 僕は

 自分なりに

 一生懸命

 努力しているわけだ。

 皆さんについても、

 それは

 いえることで、

 皆さんの

 月給が

 かりに

 10万円であれば、

 10万円の仕事しか

 しなかったら、

 会社には

 何も残らない。

 そうなれば

 会社は

 株主に

 配当もできないし、

 国に

 税金も納められない。

 だから、

 自分の

 今月の働きが、

 はたして

 どのぐらいであったか

 ということを、

 常に

 自分に問うていく

 必要がある。

 もちろん

 どの程度の

 働きが

 妥当であり、

 望ましいか

 ということは

 一概には

 言えないが、

 まあ

 常識的には、

 10万円の人であれば

 すくなくとも

 30万円の働きを

 しなくては

 ならないだろうし、

 願わくば

 100万円

 やってほしい。

 そういうふうに

 自分の働きを

 評価し、

 自問自答して

 自分の働きを

 高め、

 さらに

 新しい境地を

 開いていって

 もらいたい。

 そういう姿が

 全部の社員に

 及んでいけば、

 そこに

 非常に

 力強いものが

 生まれてくる

 と思うのだ。

 

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・自動車王といわれた

 ヘンリー・フォードの言葉に

「いい技術者ほど、

 できないという

 理論を知っている」

 というのが

 あります。

 それは

 どういうことか

 といいますと、

 フォードは

 企業経営において、

 コンベア・システムをはじめ

 次から次へと

 新しいアイデア

 生み出した人ですが、

 それを

 彼の工場で

 生かすため、

 技術者のところへ

 相談に行くと、

「それは

 社長、

 無理ですよ、

 できません。

 理論上から

 考えても

 無理です」

 と言うことが

 多い。

 特に

 すぐれた技術の

 持ち主ほど、

 そうした

 傾向が強く、

 困ったものだ

 と述懐しているのです。

 

 

・わが社が

 週5日制になってから

 半年の月日が

 たったけれども、

 皆さんは

 週2日の休みを

 どのような考えで

 過ごしておられるだろうか。

 1日教養、1日休養

 というように

 有効に

 活用できているかどうか。

 2日間の休みを

 無為に過ごすのでなく、

 心身ともに

 自らの向上をはかる

 適当な方法を

 考え、

 実行していただきたい

 と思う。

 ただ、

 その

 自らを高める

 というか、

 教養を高めたり、

 仕事の能力を

 向上させたり、

 あるいは

 健康な体づくりを

 することと

 関連して、

 私は

 ひとつ

 皆さんに

 お尋ねしたい。

 それは

 どういうことか

 というと、

 ほかでもない。

 皆さんが

 勉強なり

 運動をするときに

 “自分が

 このように

 自己の向上に

 努めるのは、

 ただ

 単に

 自分のためばかり

 ではない。

 それは

 社会の一員としての

 自分の義務でも

 あるのだ”

 という

 意識をもって

 やっておられるかどうか、

 ということである。

 そういうことを

 皆さんは

 今まで

 考えたことが

 あるかどうか、

 また

 現在

 考えているかどうかを

 お尋ねしたい

 と思う。

 

 

・仕事に

 追われる

 忙しい

 毎日の中では、

 趣味をもつ

 ということが、

 大いに

 役立つものです。

 しかし、

 この趣味

 というものに

 関連して、

「自分は、

 仕事は

 食べるために

 やっているので、

 本当の生きがいは

 趣味のほうに

 あるんだ」

 という人も

 なかにはあると

 思います。

 そんな人の場合には、

 私は

 その人が

 自分の

 本業の仕事で

 成功する

 ということは

 難しいのではないか

 と思います。

 仕事というものは、

 やはり

 それに興味をもち、

 楽しみを

 感じつつ

 打ち込める、

 ということでなければ、

 それなりの

 成果を

 あげることは

 できません。

 ですから、

 たとえば

「自分は、

 会社の社員として

 仕事を

 しているけれども、

 どうも

 頭に

 俳句のことが

 こびりついていて

 離れない。

 仕事をしていても

 折々に

 俳句のことが

 浮かんでくるし、

 それが

 また

 非常に面白いし、

 やりがいを

 覚えるんだ」

 というような人が

 あるならば、

 その人は

 思い切って

 俳句を

 自分の本業として

 いくように

 すべきだと

 思います。

 昔であれば、

 そういうことをすれば、

 たちまち

 食うに

 困ってしまう

 というような

 姿が多かった

 と思いますが、

 そういう中でも、

 食べるものが

 満足にないような

 状態をも

 いとわず、

 俳句一筋に生きた

 という

 例もあったわけです。

 しかし

 幸いにして

 今日では、

 それほどの

 困窮に

 陥るということは

 めったに

 ありません。

 ですから、

 どうしても

 俳句のほうに

 生きがいを

 覚える

 という人は、

 俳句を

 本業として

 生きる

 決心をし、

 少々は

 貧しくても

 そこに

 人生の生きがいを

 感じる

 というように

 したほうが良い

 と思うのです。

 もちろん

 人によっては、

「自分は

 自分の本業、

 仕事に

 生命を打ち込んでいるが、

 その余暇に

 俳句を

 楽しんでいる。

 それは、

 自分自身を

 潤すことになるし、

 本業をやっていく上においても、

 人間形成の上にも

 プラスになるんだ」

 という場合もある

 と思います。

 そういう人が

 実際には

 大部分だ

 と思いますが、

 それは

 趣味というものの

 本来の姿でしょう。

 そうした点について、

 もし

 曖昧なままでの

 生活を続ける

 というようなことが

 あるとするならば、

 それは

 やはり

 早く

 どちらかに

 決するということが

 必要なのではないでしょうか。

 

 

 

 

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