ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.137 『昭和の怪物七つの謎』保坂正康 講談社現代新書 ―切り抜き6カ所

 

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『昭和の怪物 七つの謎』

   保坂正康

    講談社現代新書

 

 

 

大日本帝国の軍人は

 文学書を

 読まないだけでなく、

 一般の政治書

 良識的な啓蒙書も

 読まない。

 すべて

 実学の中で学ぶのと、

軍人勅諭」が示している

 精神的空間の中の

 充足感を

 身につけるだけ。

 いわば

 人間形成が

 偏波なのである。

 こういうタイプの

 政治家、軍人は

 三つの共通点を持つ。

「精神論が好き」

「妥協は敗北」

「事実誤認は当たり前」。

 東條は

 陸軍内部の指導者に

 育っていくわけだが、

 この三つの性格を

 そのまま実行に

 移していく。

 

 

「会議というのは、

 日本では

 はっきり言って、

 急進論とか積極論とかのほうが

 よく通るんです。

 この時の会議は

(午前九時から始まり)

 翌日の午前二時まで

 続いたのだが、

 東郷外相が

 いきなり

 乙案を出した。

 するとだよ、

 統帥部は

 騒ぎ出した。

 すぐ開戦だ、

 残された日々はないんだ、

 それに

 陸海軍の事務当局と

 外務省の事務当局との間に

 事前の打ち合わせも

 なかったから

 その怒りは

 すさまじく、

 すぐに開戦だと

 譲らなくなって

 しまったんだね。

 私は

 この会議のあと、

 東條さんや武藤さんから、

 この間の経緯を聞いて

 驚きましたよ」

 

 

サイパン陥落で

 状況は

 悪化していく一方なのに、

 東條さんは

 どうして

 この戦争は

 まだまだ負けていないと

 言い続けたのでしょうか。

 何か根拠は

 あったのですか」

「確かに

 戦況は悪いけれど、

 日本人は

 いざとなったら

 なにくそ、となると

 東條さんは

 いつも言っていた。

 東條さんは、

 自分は

 早くそうなってくれ

 と思ってやってきたけれど、

 つまりは

 そうはならなかった。

 今度こそ、そうなる、

 今度こそ、そうなると

 東條さんは

 そう思ってきた。

 そして今、

 サイパンが落ちた。

 こうなって

 日本人は

 なにくそとなって

 聖戦必勝に進むんだ。

 それなのに

 自分は

 辞めなければならん、

 辛いと言っていたね。

「東條さんは

 いろいろなところで

 言っていますけれど、

 戦争は

 精神力の勝負、

 負けたと思った時が負け

 と言っています。

 これは

 不思議な論理だと

 思うんですけれど」

「まあ

 精神論と

 言われれば

 そうれまでだけど、

 戦争というのは

 東條さんは、

 最後まで

 精神力の勝負だと

 考えていたことは

 間違いないと

 思うね」

 

 

・石原は

 帝国軍人として

 生きたのだから、

 むしろ

 その骨格は

 近代日本が

 軍人に託した

 倫理、発想、規範で

 成り立っている。

 普通の軍人は

 それを

 受け身で

 身につけているから、

 すべてが

 判断停止状態にある。

 天皇陛下

 忠誠を誓うことのみで

 模範的軍人たりうる

 と考える。

 ところが

 石原は違う。

 軍人に託された

 倫理などより、

 まず

 自分が

 19世紀から20世紀初頭を

 生きる日本人だと

 受け止めるのである。

 自分は

 たまたま

 軍人として

 生きる道を

 選んだ。

 自分には

 歴史や時代によって

 託された

 生き方があるはずだと。

 能動的に

 自らの生きる空間で

 働くのである。

 これが

「日本的怪物」の

 特徴であり、

 石原には

 軍人の殻を破って

 軍事主導体制化の

 怪物的軍人たろうとの

 強い意思が

 読み取れるのだ。

 

 

・昭和22年5月に

 新しい日本国憲法

 施行されるころには

 東京裁判への発言があり、

 その後は

 憲法への

 自らの見解などを

 明かしている。

 こうした発言の

 骨格を成すのは、

「敗戦によって

 国民は呆然として

 失神状態にあるようだ。

 無理のないことであるが、

 私は

 少しも心配する必要はない

 と断言する。

 後の鳥が先になり得るからだ」

 という点にある。

 戦争に敗れたのは、

 アメリカが

 日本より

 国力が秀でていたためであり、

 それを承知で

「負けることがわかっている

 戦争をする馬鹿がどこにいる」

 と戦時下すでに叫んでいた

 冷静さが

 その根底にある。

 石原の言う

「後の鳥が先になり得る」

 という例えは、

「新日本の建設とわが理想」

 の中では

 次のような言い方で

 説明している。

 敗戦後には

 生活の苦労があることを

 認めたうえで、

「我々は、

 歴史は今

 重大な転換期に

 来ているものと見、

 後の鳥が先になる機会が

 与えられているものと

 考えている。

 血なまぐさい時代ではあるが、

 世界は正に

 人類の憧れである

 永久の平和が

 実現しようとしているのだ。

 日本は

 ちょうどマラソン

 一番ビリになった

 選手のようなものだが、

 コースが変われば

 逆に再先頭になる

 可能性がある。

 コースは

 現に変わりつつある。

 決して

 落胆する必要はない」

 と書くのである。

 

 

・この尋問の折に、

 判事団から

「あなたは

 東条英機

 対立していたのでは

 なかったか」

 と尋ねられている。

 石原は、

 この質問に

 次のように答えたと

 のちに語っている。

「対立した

 ということはない。

 日本人にも

 そのような

 愚問を発する者がいるが、

 東條には

 思想も意見もない。

 私は

 若干の意見も

 持っていた。

 意見のない者との間に

 対立があるわけはない」

 そして

 この時に

 次のような意見も述べた

 というのである。

東京裁判を見るに、

 日本の戦犯は

 東條をはじめとして、

 いずれも

 権力主義者で、

 権力に媚び、

 時の勢力の

 大きいほうについて、

 甘い夢を見ていた者ばかりで、

 莫大な経費をかけて

 世界のお歴々が集まって

 国際裁判に付するだけの

 値打ちのある者は

 一人もいない。

 みんな

 犬のような者ばかりではないか。

 アメリカは

 戦争に勝って、

 今は世界の大国である。

 世界の大国が、

 犬をつかまえて裁判した

 とあっては、

 後世の物笑いになる。

 アメリカの恥だ。

 裁判をやめて

 帰ってはどうか」

 

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