ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.73 『昭和天皇』出雲井晶 産経新聞社 ー抜粋21箇所

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昭和天皇

  出雲井晶

   産経新聞

 

 

 

明治天皇

 おなくなりになり

 大正になったころから、

 人びとは

 ヨーロッパやアメリカの

 文明を真似ることばかりに

 力を入れて、

 自分中心に

 物事を考え、

 自分だけ

 楽しければ良いとする

 世の中に

 なっていきました。

 

 

「私は

 国と国の

 約束を

 大切にし、

 世界が

 ずっと

 平和であるようにと

 努力している。

 それが、

 わが国も栄え

 国民の

 本当の幸せを

 約束するものだと

 信じている。

 それに

 軍が

 国の外に

 出たところで、

 私の命令を

 聞かず、

 よく

 考えもしないで

 事件を大きくし

 武器を使うとは、

 とても

 残念だ。

 こんなことを

 していると、

 多くの

 国々が

 力ずくで

 わが国に

 こうしろ

 ああしろ

 と言ってくるようになる。

 すると、

 国と国民を

 滅ぼし

 不幸に

 陥れることになる。

 それでは

 国民やご先祖に

 相済まない。

 九千万の国民と

 代々のご先祖から

 受け継いだ

 わが国のゆくえは、

 いま、

 私の責任である。

 それを

 考えると

 夜も眠れない」

 

 

・歴史の

 激しい

 移り変わりと、

 人間の

 欲望や心変わりの

 中にあって、

 ただご一人

 天皇さまだけは、

 お変わりになることが

 ありませんでしたから、

 落ち着いた

 強い態度を

 とることが

 おできになられたのです。

 それは

 国家の、

 国民の、

 “中心”であり、

 天照大神から

 途絶えることなく

 続いている、

 わが国の

 “中心のお方”

 だからです。

 国民のことを

 大御宝と

 およびくださる

 大きな

 慈愛の

 お心で、

 その幸せを

 つねに

 願ってくださる

 中心の

 お方だからです。

 

 

「わが国は

 歴史にある

 フリードリッヒ大王や

 ナポレオンのような行動、

 マキャベリズム

(謀りごとをめぐらし

 人をだますこと)

 のようなことは

 したくないね。

 神代からの

 ご方針である

 八紘一宇の真精神

(地上の人

 すべてが

 それぞれ

 所を得ながら、

 ひとつ

 屋根の下の

 大家族のように

 仲良く

 暮らそう

 という、

 神武天皇

 建国の

 ご精神のこと)

 を忘れないように

 したいものだね」

 

 

「陛下は

 どうして

 鈴木内閣には

 御聖断を

 お下しに

 なられたのに、

 東条内閣に

 開戦を

 お許しに

 なったのですか」

「具体的な

 政治の

 問題については、

 ぜんぶ

 内閣が

 責任をもって

 やるのであって、

 天皇

 これに

 口出ししないのが

 もともとの

 きまりだと

 考えていた。

 “天皇

 統治すれども

 政治せず”

 である。

 だから

 東条内閣のときには

 内閣が

 閣議

 開戦を決定して

 自分の許しを

 求めてきたから、

 憲法

 手続きによって

 許したわけだ。

 鈴木内閣の場合は、

 内閣が

 意見を

 求めてきたから、

 自分が

 ここで

 意見を言っても、

 いずれの人間の

 公務権限

(おおやけの務めの権利)も

 おかすことには

 ならない。

 だから

 自分は

 自分の意見を

 率直に言ったのだ」

 

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「戦争の

 終結については

 機会を失わないように。

 このことに関しては

 充分

 考えていることとは

 思うが、

 人類平和のためにも、

 いたずらに

 戦争が

 長引いて

 惨害が

 広がっていくのは

 良くない。

 もちろん

 相手のあることだから、

 米英の出方、

 独ソの今後も

 見極めながら

 戦争を

 長引かせないようにせよ」

 

 

「数か国が

 新兵器開発を

 競っている

 ということだが、

 日本が

 最初に

 完成させて

 使えば、

 他の国も

 全力をあげて

 完成させて

 使うだろう。

 そうなれば

 全人類を

 滅亡させることになる。

 それでは

 日本が

 人類を滅ぼす

 悪の大元になるでは

 ないか。

 また

 ハワイに落とす

 計画だというが、

 ハワイには

 日本の同胞が

 大勢

 移住して、

 現地アメリカの

 人びととともに

 苦労して

 今日を

 築いているところだ。

 そのようなところに

 新兵器を使うなど

 賛成できない」

 

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・戦局が

 深刻になってきた

 昭和19年7月ごろ、

 軍部が

 天皇さまに

 地方の

 安全と思われるところへ

 お移りいただきたい

 とお願いしました。

 天皇さまは、

「私が

 ここから

 他へ移ったりすれば

 国民に

 不安を抱かせ、

 負けるのではないか

 と思わせる」

 と申されました。

 それに

 陸軍は

 ひそかに

 長野県の松代に、

 “新大本営”を

 地下にこしらえました。

 そのような

 工事が

 天皇さまの

 許可を得ないで

 進められていたことを

 昭和20年の4月に

 お知りになり、

 勝手なことをする

 軍部に、

 きっぱりと

 おおせられました。

「私は

 国民とともに、

 ここで

 苦楽を

 分け合う」

 

 

「念のために、

 そのわけを

 申しておく。

 大東亜戦争

 始まって以来、

 陸軍海軍が

 してきたことを

 見ていると、

 予定と結果の

 開きが

 あまりにも

 大きい場合が多い。

 現在、

 陸軍は

 大臣、総長が

 申したように

 本土決戦をすると、

 その準備をしている。

 勝つ自信がある

 と言っているが、

 私は

 その点が

 不安である。

 先日、

 参謀総長から

 九十九里浜

 防備の話を

 聞いた。

 その後、

 侍従武官が

 実際に見てきた。

 総長の話とは

 非常に

 違っている。

 防備は

 ほとんど

 できていないようだ。

 また、

 先日、

 編成を終わったと

 参謀総長が申した

 ある師団では、

 兵士に

 銃剣さえ

 ゆきわたっていない

 ありさまであることが

 わかった。

 こんなことで

 本土決戦になったら

 どうなるのだろう。

 とても心配だ。

 日本民族

 皆、

 死んでしまうことに

 なるかもしれない。

 そうなれば、

 この日本という国を

 子孫に伝えることが

 できるか。

 私の務めは

 祖先から

 受け継いだ、

 この日本の国を

 子孫に

 伝えることである。

 今となっては、

 ひとりでも多くの

 国民に

 生き残ってもらいたい。

 その人たちが

 この国を

 子孫に

 伝えてくれる以外に

 道はない。

 また

 このまま

 戦を続けることは、

 世界の人類にとっても

 不幸なことだ。

 私は

 明治天皇

 三国干渉のときの

 お心を考えた。

 自分のことは

 どうなっても

 かまわない。

 堪えがたきこと

 忍びがたきこと

 であるが、

 戦争を

 やめる決心を

 した次第である」

 

 

「それで

 良いではないか。

 たとえ

 連合軍が

 天皇が治めることを

 認めてきても、

 国民の心が

 離れたのでは

 しようがない。

 国民の

 自由意思によって

 決めてもらって、

 少しも

 かまわない」

 

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「これから

 日本は

 再建しなければ

 ならない。

 とても

 難しいことであり、

 時間もかかるだろう。

 しかし、

 国民が

 皆

 ひとつの家の者の

 気持ちになって

 努力すれば

 必ず

 できる。

 私も

 国民とともに

 努力する」

 

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天皇

 6カ月にわたる

 終戦への

 苦闘に対する

 公的な反対は

 終わりを遂げた。

 7百万におよぶ

 精神的にも肉体的にも

 強靭な日本軍は

 武器を置いて、

 太平洋全域から

 帰国の途についた。

 この歴史上、

 前例のない降伏が

 戦争を

 数カ月

 短縮させ、

 推定45万人にも

 のぼろうとした

 アメリ将兵

 生命を救い、

 何十億ドルもの

 物的損害を

 出さずに

 済ませたことは

 疑いない。

 天皇

 常に

 抵抗のすべなく、

 狂信的軍国主義者の

 道具に

 利用されてきた

 平和主義者だったので

 あろうか、

 私は

 彼が

 そうであったことを

 固く信じて

 日本を去った。

 

 

「歴史上、

 戦時、平時を通じて

 これほど

 速やかに

 間違いを起こさずに

 兵隊たちの

 武装を解き

 家に帰した例を

 私は知らない。

 約7百万の

 兵士の投降

 という

 史上に

 例のない

 難しい仕事が

 一発の銃声も

 響かせないで、

 連合軍兵士の

 ひとりも

 血を流すことなく

 終えることができた」

 

 

「私は

 国民の

 ひとりでも

 戦争犯罪人として

 裁くことなど

 できはしない。

 国民は

 ひとり残らず

 一心に

 日本の国のために

 尽くしてくれた。

 戦勝国

 戦勝国の名において

 勝手に

 裁判をするのならば、

 致し方ないことではあるが、

 私の名においては

 何人も

 戦争犯罪人というものに

 あたる者はいない」

 

 

「私が

 東京に着いて

 間もないころ、

 私の部下たちは、

 権力を示すため、

 天皇

 司令部に

 招き寄せてはどうかと、

 私に

 強く

 すすめた。

 私は

 そういった

 申し出を

 退けた。

『そんなことをすれば、

 日本の

 国民感情

 踏みにじり、

 天皇

 国民の目に

 殉教者に

 仕立て上げることになる。

 いや、

 私は

 待とう。

 そのうちには、

 天皇

 自発的に

 私に

 会いにくるだろう。

 今の場合は、

 西洋のせっかちよりは、

 東洋の辛抱強さのほうが、

 我々の目的に

 一番

 かなっている』

 というのが、

 私の説明だった。

 実際に、

 天皇

 間もなく

 会見を

 求めてこられた。

 モーニングに

 シマのズボン、

 トップ・ハット

 という姿で、

 裕仁天皇

 御用車の

 ダイムラー

 宮内大臣

 向かい合わせに

 乗って、

 大使館に着いた。

 私は

 占領した

 初めから

 天皇の扱いを

 粗末にしては

 ならない

 と命令し、

 君主にふさわしい、

 あらゆる礼遇を

 ささげることを

 求めていた。

(略)

 私は

 天皇が、

 戦争犯罪者として

 起訴されないよう、

 自分の立場を

 訴え始めるのではないか、

 という

 不安を感じた。

 連合国の一部、

 ことに

 ソ連と英国からは、

 天皇

 戦争犯罪者に含めろ

 という

 声が

 かなり

 強く

 あがっていたからだ。

 現に

 これらの国が出した

 最初の

 戦犯リストには、

 天皇

 一番先に

 記されていたのだ。

 私は、

 そのような

 不正な行動が、

 いかに

 悲劇的な結果を

 招くことになるかが、

 よく

 わかっていたので、

 そういった

 動きには

 強力に

 抵抗した。

 ワシントンが

 英国の考えに

 傾きそうに

 なった時には、

 私は、

 もし

 そんなことをすれば、

 少なくとも

 百万の将兵

 必要になる

 と警告した。

 天皇

 戦争犯罪者として

 起訴され、

 おそらく

 絞首刑に

 処せられることにでも

 なれば、

 日本に

 軍政をしかねば

 ならなくなり、

 ゲリラ戦が

 始まることは、

 まず

 間違いないと

 私は

 みていた。

 結局

 天皇の名は

 リストから

 外されたのだが、

 こういった

 いきさつを、

 天皇

 少しも

 知っていなかったのである。

 しかし、

 この私の不安は

 根拠のないものだった。

 天皇

 口から出たのは、

 次のような言葉だった。

「私は、

 国民が

 戦争を

 成し遂げるにあたって、

 政治、軍事両面で

 行った

 すべての

 決定と行動に対する、

 全責任を負う者として、

 私自身を

 あなたの代表する

 諸国の裁きに

 委ねるために

 おたずねした」

 私は

 大きい感動に

 揺さぶられた。

 死を

 伴うほどの責任、

 それも

 私の

 知り尽くしている

 諸事実に照らして、

 明らかに

 天皇

 帰すべきではない

 責任を

 引き受けようとする。

 この

 勇気に満ちた

 態度は、

 私の

 骨の髄までも

 揺り動かした。

 私は

 その瞬間、

 私の前にいる

 天皇が、

 個人の資格においても

 日本の

 最上の紳士であることを

 感じ取ったのである。

(略)

 天皇との

 初対面以後、

 私は

 しばしば

 天皇の訪問をうけ、

 世界の

 ほとんどの問題について

 話し合った。

 私は

 いつも、

 占領政策の背後にある

 いろいろな理由を

 注意深く

 説明したが、

 天皇

 私が話し合った

 ほとんど、

 どの日本人よりも

 民主的な

 考え方を

 しっかりと

 身につけていた。

 天皇

 日本の、

 精神的復活に

 大いに

 役割を演じ、

 占領の成功は

 天皇

 誠実な協力と影響力に

 おうところが

 きわめて

 大きかった」

 

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「今回の

 戦争の責任は

 すべて

 自分にあるのであるから、

 自分に対して

 どのような

 処置を

 取られても

 かまわない。

 次に

 戦争の結果、

 現在

 国民は

 飢餓に瀕している。

 このままでは

 罪のない

 国民に

 多くの

 餓死者が出る

 おそれがあるから、

 米国に

 ぜひ

 食糧援助を

 お願いしたい。

 ここに

 皇室財産の

 有価証券類を

 まとめて

 持参したので、

 その費用の一部に

 あてていただければ

 仕合せである」

 

 

・重光

「東京出発前、

 天皇陛下

 拝謁した際、

 陛下は

『もし

 マッカーサー元帥と

 会合の機もあらば、

 自分は

 米国人との

 友情を

 忘れた事はない。

 米国との

 友好関係は

 終始

 重んずるところである。

 特に

 元帥の友情を

 常に

 感謝して、

 その健康を

 祈っている、

 と伝えてもらいたい』

 とのことであった」

 マック

「自分は

 日本天皇

 ご伝言を

 他の

 なにものよりも

 喜ぶものである。

 私は

 陛下に

 お出あいして以来、

 戦後の

 日本の幸福に

 最も貢献した人は

 天皇陛下なり

 と断言するに

 憚らないのである。

 それにも

 かかわらず、

 陛下の

 なされたことは

 未だかつて、

 十分に

 世に知らされてはおらぬ。

 10年前、

 平和再来以来、

 欧州のことが

 常に

 書きたてられて、

 陛下の

 平和貢献の仕事が

 十分に

 理解されていない

 うらみがある。

 その時代の

 歴史が

 正当に

 書かれる場合には、

 天皇陛下こそ

 新日本の

 産みの親である

 といって

 崇められることになる

 と信じます。

 私は

 戦前には、

 天皇陛下

 お目にかかったことは

 ありません。

 はじめて

 お出あいしたのは、

 東京の

 米国大使館内であった。

 どんな態度で、

 陛下が

 私に会われるかと

 好奇心をもって

 お出あいしました。

 しかるに

 実に

 驚きました。

 陛下は、

 まず

 戦争責任の問題を

 みずから

 持ち出され、

 つぎのように

 おっしゃいました。

 すなわち、

『私は、

 日本の

 戦争遂行に伴う

 いかなることにも、

 また、

 事件にも

 全責任をとります。

 また

 私は、

 日本の名において

 なされた、

 すべての

 軍事指揮官、軍人

 および政治家の

 行為に対しても

 直接に

 責任を負います。

 自分自身の

 運命について

 貴下の判断が

 いかようのものであろうとも、

 それは

 自分には

 問題ではない。

 私は

 全責任を

 負います』

 これが

 陛下の

 お言葉でした。

 私は

 これを聞いて、

 興奮のあまり

 陛下に

 キスしようと

 したくらいです。

 もし

 国の罪を

 あがなうことが

 出来れば

 すすんで

 絞首台にのぼることを

 申し出る、

 という、

 この

 日本の元首に対する

 占領軍の

 司令官としての

 私の

 尊敬の念は、

 その後

 ますます

 深まるばかりでした。

 陛下は

 ご自身に対して、

 いまだかつて

 恩恵を

 私に

 要請したことは

 ありませんでした。

 とともに

 決して、

 その尊厳を

 傷つけた

 行為に出たことも

 ありませんでした。

 どうか

 日本に

 お帰りの上は、

 自分の

 温かい

 ごあいさつと

 親しみの情を

 陛下に

 お伝えください。

 その際、

 自分の

 心からなる

 尊敬の念も

 同時に

 ささげてください」

 

 

・昭和50年

 ご訪米のおり、

 アメリカの記者が、

 戦争責任について

 たずねたのに対して

 天皇さまは、

「そのころの人が

 まだ生きているとき、

 私が

 何かを言えば

 当時の軍当局を

 批判することにも

 なりかねないので、

 そのようなことは

 さしひかえたい」と、

 おおせになりました。

 30年たっても、

 なおかつ

 ひとりの国民をも

 責めたり

 傷つけようとは

 なさらない。

 まさに

 神のかぎりない

 恕しを秘めた

 お心、

 計り知れない

 思いやりの

 お心こそが、

 マッカーサーの観た

 神そのままの

 お姿であったので

 ありましょう。

 

 

「この際、

 私としては

 どうすればいいのか

 と考えたが、

 結局、

 広く

 地方を歩いて

 遺家族や

 引き揚げ者を

 なぐさめ、

 励まし、

 元の姿に返すことが

 自分の務めである

 と思う。

 私の

 健康とか

 何とかは

 まったく

 考えなくてもいい、

 その志を達するよう

 全力をあげて

 おこなってほしい」

 

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・ノース・アメリカン紙

 フォーク記者は

天皇

 いい人だ。

 市民は

 涙を流して

 奉迎に

 熱狂している。

 これが

 日本人の

 真の国民性なのだろう。

 美しい光景だ」

 と話しています。

 

 

「あの足場の悪いところで、

 歓迎派にも反対派にも

 同じように

 手をふって

 あいさつせずに

 いられないとは、

 なんという

 まじめな方なのだろう。

 失礼な言い方だが、

 愚直とでも

 いいたい

 律義さではないか。

 我々

 日本人の象徴は、

 こういう方なのだ」