ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.41 『天皇家の仕事』高橋紘著 共同通信社 ー抜粋19箇所

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   『天皇家の仕事』

      高橋紘

       共同通信社

 

 

 

・ご本人は、

 結婚相手の条件について、

 どう語っていたのだろうか。

「淑やかな中にも、

 自分の意見を

 はっきり

 述べることのできる人」、

「外国語が

 ある程度はでき、

 明るくて

 スポーツのできる人」――など、

 英国留学(1983―85)後に

 話している。

 そのときは、

 また

「身長、学歴、家柄などには

 こだわらないが、

 価値観を

 同じくする人がよい。

 美しいものを見て

 美しいと評価でき、

 さらに

 金銭感覚が同じ人、

 たとえば

 ティファニーへ行って、

 あれやこれやと

 ものを買うのでは困る」と、

 積極的に

 自分の好みを

 語っていた。

 

 

「まず第一に、

 本人がいい

 と思うことが

 ありますね。

 それと

 もうひとつは、

 皇族妃という

 公的な立場があるわけで、

 皇室会議を経る

 という意味が

 あるわけですから、

 皆が見て

 いいと思う人でなければ

 ならない

 と思います。

 そして

 喜びも悲しみも、

 ともにしていく

 という人であってほしい

 と思っています」

(1978)

 

 

「結婚が、

 お互い同士、

 それぞれにとって

 幸せなもので

 あってほしい

 ということと、

 やはり

 国にとっても

 幸せなもので

 あってほしいと、

 その二つを

 願っています」

(1983)

 

 

・共通しているのは

「皇族妃

 という公的な立場」

「国にとっても

 幸せなもの」

 ということである。

 夫妻は

「本人同士が

 いいと思う」と

 憲法24条の

「両性の合意」を

 まず第一に挙げているが、

 それは肉親としての情である。

「公的立場」を

 優先するのが当然と

 理解してよいことは、

 いうまでもない。

 

 

「本土決戦、

 本土決戦

 と言ふけれど、

 一番大事な

 九十九里浜の防衛も

 出来て居らず、

 又

 決戦師団の武装すら

 不充分にて、

 これが

 充実は

 九月中旬以後となる

 と言ふ。

 飛行機の増産も

 思ふ様に行って居らない。

 いつも

 計画と実行とは

 伴はない。

 どうして

 戦争に勝つことが

 出来るか。

 勿論

 忠勇なる

 軍隊の武装解除

 戦争責任者の処罰等、

 それ等の者は

 忠誠を尽した人で、

 それを思ふと

 実に

 忍び難いものがある。

 而し、

 今日は

 忍び難きを

 忍ばねばならぬ時と思う。

 明治天皇

 三国干渉の際の

 御心持を偲び奉り、

 自分は

 涙をのんで

 原案に

 賛成する」

 

 

・神器の守護は

 絶対だった。

 昭和天皇

 伊勢、熱田両神宮の

 神鏡と神剣は、

 自分の傍らに

 置いて守り、

 万一のときは

 わが身と

 運命をともにする

 覚悟だった。

 

 

原子爆弾

 戦争に

 革命的変化を

 与えるものだ。

 日本が

 降伏に応じない限り、

 さらに

 他の場所にも

 投下する」

 

 

「原爆のような

 新兵器の出現を

 見た以上、

 戦争継続は

 不可能である。

 速やかに

 終戦措置を

 講ずるようにせよ。

 なお

 その旨を

 首相に伝えよ」

 

 

「皇室と人民と国土が

 残っておれば

 国家生存の根底は

 残る。

 是れ以上、

 望みなき戦争を

 継続することは、

 元も子もなくなる

 虞れが多い。

 彼我の物力、

 内外情勢を

 勘案するに、

 我に

 勝算はない」

 

 

「反対論の意見は

 それぞれ

 よく聞いたが、

 私の考えは

 この前

 申したことに

 変わりはない。

 ……これ以上

 戦争を続けることは

 無理だと考える。

 ……自分は

 いかようになろうとも

 萬民の命を

 助けたい。

 ……この際

 耐え難きを耐え、

 忍び難きを忍び、

 一致協力

 将来の回復に

 立ち直りたい

 と思う……」

 

 

憲法

 国の

 最高法規ですので、

 国民とともに

 憲法を守ることに

 努めていきたい

 と思っています。

 終戦の翌年に

 学習院初等科

 卒業した

 私にとって、

 その年に

 憲法

 公布されましたことから、

 私にとって

 憲法として

 意識されているものは

 日本国憲法

 ということになります」

 

占い

 

「先の戦争では、

 内外多数の人が

 亡くなり、

 また

 苦しみを受けたことを

 思うと、

 まことに

 心が痛みます。

 日本は

 新しい憲法のもと、

 平和国家としての道を

 歩み続けていますが、

 世界全体で

 一日も早く

 平和が訪れるよう

 切に願っております」

 

 

「戦争を続ければ、

 三種神器を

 守ることも出来ず、

 国民をも

 殺さなければ

 ならなくなったので、

 涙をのんで

 国民の種を残すべく

 努めたのである」

 

 

「こういう戦争が

 二度とあってはいけない

 と強く感じます。

 そして

 多くの

 犠牲者と

 その家族のことを

 考えずには

 いられません。

 日本では、

 どうしても

 記憶しなければ

 ならないことが

 四つある

 と思います。

 終戦記念日

 広島の原爆、

 それから

 長崎の原爆の日

 そして

 六月二十三日の

 沖縄の戦いの終結の日。

 この日には

 黙とうを捧げて

 いまのようなことを

 考えています。

 そして、

 平和のありがたさ

 というものを

 かみしめ、

 また

 平和を守っていきたいもの

 と思っています」

 

TVCMで話題のココナラ

 

終戦直後の

 平和国家、

 文化国家

 という言葉は、

 私たちの

 年代の者に

 なつかしい響きが

 あります。

 これを

 もう一度

 かみしめたい。

 ともすれば

 念頭から

 忘れるが、

 日本人全体が

 考えてみるべきだと

 思います」

(74年の記者会見)

 

いいねがもらえる写真を撮影【マッチングフォト】

 

「平和の問題は

 非常に

 関心があります。

 いまの平和が

 多くの犠牲のあとで

 得られたものなので、

 この平和と

 過去のことを

 振り返りながら

 大切にしていきたい

 と思います」

(82年の記者会見)

 

 

 “四つの日”のなかで

 日本人が忘れがちなのは、

 六月二十三日の

 沖縄戦終了の日である。

 天皇の名の下で始まった

 戦争の結果、

 本土で

 唯一の戦場となり、

 長期間にわたって

 異民族支配を受けてきた

 沖縄は、

 皇室に対して

 複雑な感情を

 抱いている。

 昭和天皇

 希望しながら

 ついに

 訪れることが

 できなかったのは、

 県民の気持ちを

 無言のうちに

 示しているのだ。

 

 

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