ひょっぽこ読書記録No.51 『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』橘玲著 幻冬舎 ー抜粋40箇所
『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』
橘玲著
・僕は
ホームレスに
興味が
あったわけでも、
彼らのために
何かをしたい
と思っていたわけでもない。
ただ、
自分が
何故
彼らに
引き寄せられるのかを
知りたかっただけだ。
ほんの
些細なきっかけで、
金銭も
愛情も
失ってしまえば、
あとは
彼らの
隣人として
生きていくほかはない。
・奇跡が
起きないから
といって
絶望することはない。
ありのままの
「私」でも
成功をする
方法(哲学)がある。
残酷な世界を
生き延びるための
成功哲学は、
たった
二行に
要約できる。
「伽藍を捨ててバザールに迎え。
恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。」
何のことか
わからない?
その秘密を
知りたいのなら、
これから
僕と一緒に
進化と幸福をめぐる
風変わりな旅に
出発しよう。
・勝間の主張は、
きわめて
明快だ。
お金がなければ、
夫に従属して
生きるしかない。
専門性を
持っていないと
再就職が
難しいから、
嫌な仕事
(またはセクハラ)にも
耐えるしかない。
インディペンデントに
生きるためには、
何よりも
お金と
能力(専門性)が
必要なのだ。
・一卵性双生児の再会
→生まれて
すぐに
里子に出された
一卵性双生児が
39年ぶりに
再会した。
1979年の
アメリカ、
オハイオ州での
出来事だ。
養親は
ルイス家と
シュプリンガー家で、
偶然、
二人とも
同じ
ジェイムズ(ジム)
という
名前をつけられた。
それまで
一度も
会ったことが
なかったのに、
ジム・ルイスと
ジム・シュプリンガーの間には
様々な類似点があった。
二人とも
やや
高血圧気味で、
半日も続く
ひどい
片頭痛に
悩まされていた。
学校の成績は
それほど
良くなく、
一人は
高校一年で中退、
もう一人も
落第すれすれの成績を
取り続けていた。
しかし
類似点は、
それだけでは
なかった。
この再会を報じた
地元紙によれば、
二人とも
車は
シボレーを運転し、
ヘビースモーカーで
銘柄は
セーラム。
改造カーレースが好きで
野球は嫌い。
そればかりか
二人とも
離婚歴があり、
最初の妻の名は
どちらも
リンダで、
二番目の妻は
どちらも
ベティ、
一方は
長男を
ジェイムズ・アラン(Alan)、
他方は
ジェイムズ・アラン(Allan)
と名付けた。
さらに
飼い犬の名前は
どちらも
トイだった。
・身長や体重のような
身体的な特徴だけでなく、
知能や性格などの
「こころ」も
遺伝することを
強く示唆している。
・行動遺伝学の
様々な研究成果から、
現在では、
身体的特徴だけでなく
知能や能力、性格なども
遺伝することが
わかってきた。
それも
遺伝の影響は、
僕たちが考えるより
はるかに大きいのだ。
・何故、
身体的な特徴や
運動能力の遺伝が
当然のことと
されていて、
知能や性格の
遺伝は
激しい抵抗に
あうのだろうか。
遺伝情報が
「運動」
「知能」
「性格」
とジャンル分け
されているわけでは
ないのだから、
あれもこれも
まとめて
親から子へと
伝わる
というほうが
ずっと
ありそうだ。
実は
これは、
「遺伝」が
科学ではなく
政治問題だからだ。
僕たちの
社会では、
スポーツが得意なら
羨ましがられるけれど、
運動能力が
劣っているから
といって
不利益を
被ることはない。
音楽や芸術などの
才能も
同じで、
ピアノが弾けたり
絵がうまかったりすることは
生きていく上で
必須の条件ではない。
それに対して
知能の差は、
就職の機会や収入を通じて
すべての人に
大きな影響を
与える。
誰もが
身に沁みて
知っているように、
知識社会では、
学歴や資格で
知能を証明しなければ
高評価は
得られないのだ。
もし
そうなら、
知能が
遺伝で決まる
というのは
不平等を容認するのと
同じことになる。
政治家が
国会で、
行動遺伝学の
統計を示しながら、
「馬鹿な親からは
馬鹿な子どもが
生まれる可能性が
高く、
彼らの多くは
ニートやフリータになる」
と発言したら
大騒動になるだろう。
すなわち、
知能は
「政治的に」
遺伝しては
ならないのだ。
・遺伝には、
知能よりも
もっと
深刻な問題を
社会にもたらす
ものもある。
「精神障害者の子どもは
精神障害になりやすい」
というのは
疫学的には
否定しがたい
事実だけれど、
これを
公の場でいうことは
精神障碍者差別として
厳しく
禁じられている。
医学雑誌などの
専門誌や
遺伝学の
研究書には
当たり前のこととして
かいてあるのに。
「犯罪者の子どもは
犯罪者になりやすい」
といえば、
不謹慎どころか
それ自体が
犯罪とされる。
しかし
最新の脳科学では、
偏桃体の萎縮や
行動の先見性が
なくなったり、
道徳的な問題が
考えられなくなることが
わかっている。
サイコパス(性格異常)は
脳の機能的な欠損で、
明らかに
遺伝するのだ。
・誰だって
こんなことは
認めたくないから、
都合の悪いことは
すべて
環境のせいにしよう
とする。
だから
僕たちのまわりには、
「政治的に正しい」主張が
あふれている。
知能には
遺伝的な要素が
あるだろうけれど、
教育によって
向上できる。
犯罪が遺伝する
なんて
もってのほかで、
ひとが
犯罪者になるのは
環境のせいに
決まっている。
(貧困とか、
幼少期の虐待による
心的外傷とか)。
でも
これは、
本当だろうか。
・アメリカの
アーサー・ジェンセンは、
1969年に
知能(IQ)と
遺伝の
関係を調べ、
知能の70%は
遺伝によって
決まる
と主張した。
ジェンセンによれば、
知能は
記憶力(レベルⅠ)と
概念理解(レベルⅡ)に
分けられ、
レベルⅠの知能は
すべての人種に
共有されているが、
レベルⅡの知能は
白人とアジア系が、
黒人やメキシコ系(ヒスパニック)に
比べて
統計的に
有意に高く、
黒人の子どもたちに
特別学習プログラムを
提供しても
知能を
引き上げることは
難しい
と示唆した。
・ハリスは
きわめて
独創的で、
かつ
説得力のある
仮説を
提唱した。
すなわち、
子どもの成長に
親は必要ないのだ。
これについて
後でも
もう一度
触れるけれど、
ハリスは、
子どもの性格の
半分は
遺伝によって、
残りの半分は
家庭とは
無関係な
子ども同士の
社会的な
関係によって
つくられる
と考えた。
ひとは
生まれ落ちたときから、
年齢の近い
子ども集団に
同化することで
性格(パーソナリティ)を
形成するよう
遺伝的に
プログラミング
されている。
だから
子どもは、
親や大人たちではなく、
自分が所属する
子ども集団の
言語や文化を
身につけ、
同時に、
集団の中での
自分の
役割(キャラ)を
目立たせようと
奮闘するのだ。
・集団への同化と
集団内での分化によって
形成された性格は、
思春期までに
安定し、
それ以降は
生涯
変わらない。
僕たちは
長い
進化の歴史の中で、
いったん
獲得した
性格を
死ぬまで
持ち続けるよう
最適化されている。
・信じる
信じないは
別として、
ここまでの
遺伝学や心理学の
「発見」を
まとめてみよう。
①知能の大半は
遺伝であり、
努力しても
たいして
変わらない。
②性格の半分は
環境の影響を
受けるが、
親の子育てとは
無関係で、
いったん
身についた
性格は
変わらない。
→もし
これが
本当だとしたら、
努力することに
いったい
何の意味が
あるのだろう。
「もしも
自由や
平等や
道徳や
愛情など、
大切な価値の
すべてが
“こころは遺伝しない”
という
仮説に
拠っているなら、
この仮説が
科学的に
否定されてしまえば、
人類は
すべての価値を
失ってしまう。
だったら、
“こころは遺伝する”
という
事実を
認め、
その上で
公正で
公平な
社会の仕組みを
考えたほうが
ずっといい」
・ガードナーによれば、
知能は
身長や体重のように
単純な検査で
測定可能なものでは
ない。
こころは
様々な
モジュール(部品)が
組み合わされて
できていて、
それぞれの
パーツが
お互いに
影響し合っている。
『MI:個性を生かす多重知能の理論』
において、
ガードナーは
人間に
固有の
8つの知能と
1つの候補を
挙げている。
MI=Multiple Intelligences 。
①言語的知能
②論理数学的知能
③音楽的知能
④身体運動的知能
⑤空間的知能
⑥博物的知能
⑦対人的知能
⑧内省的知能
⑨実存的知能(暫定的に提案された)
・脳神経科医の
ジョンとマイケルという
双子の兄弟の
驚くべき
能力について
報告している。
彼らは
26歳で、
IQが60しかなく、
自閉症、
精神病、
重度の精神遅滞などと
診断されていた。
事実、
簡単な
足し算や引き算も
満足に
できなかったが、
「カレンダー計算機」として
知られていた。
適当な日にち
(4万年前でも、4万年先でも)
を彼らに告げると、
ほとんど
瞬間的に
それが
何曜日であるかの
答えが返ってくるからだ。
ある日
サックス博士は、
彼らが
素数を
交換する
という
二人だけのゲームで
遊んでいることを
発見した。
素数は
1と
その数自身しか
約数のない
正の整数で、
当時の数表には
10桁の素数までしか
乗っていなかった
(素数を見つけるのは
コンピュータを使っても
難しかった)。
それなのに
この兄弟は、
暗算だけで
20桁の
素数を
やりとりしていたのだ。
この奇妙な現象を
説明できる
仮説は
ひとつしかない。
論理数学的知能のうちの
ある部分は、
ほかの知能からは
完全に独立しているのだ。
・僕たちの
暮らす
市場経済の
ルールは、
「働いて
お金を稼がないと
生きていくことは
できない」
というものだ。
という
大きな
マーケットがあって、
会社や取引先や消費者が
各自の
資力や能力
(品質やサービス)
に応じて
お金を
やりとりする。
ところが
ここに、
大きな問題がある。
市場は、
いろんな知能を
平等に
扱うわけでは
ないのだ。
身体運動的知能や
音楽的知能は、
衆に抜きん出て
優れていないと
誰も
評価してくれない。
ゴジラ松井みたいな
大リーガーになったり、
しずかちゃんが
アムロみたいな
人気歌手になれば
富と名声が
手に入るだろうけれど、
会社の
野球チームで
ホームランを
打ったり、
カラオケ大会で
優勝するくらいでは
何の役にも立たない。
それに対して
言語的知能や
論理数学的知能は、
他人より
ちょっと
優れているだけで
労働市場で
高く評価される。
出来杉くんは
取るような
天才科学者には
なれないかもしれないけれど、
医者や
弁護士、
大学教授、
エリートサラリーマン
として
安定した生活を
送ることが
できるだろう。
・ベッカーは
まず、
ひとは
誰でも
働いて
お金を稼ぐ
能力を
持っている
と考える。
これが
「人的資本」で、
僕たちは
みんな
人的資本を
労働市場に
投資して
利潤(報酬)を
得ている。
この考え方の
優れているところは、
ベンチャー起業家や
サラリーマンや
公務員や
自営業者など、
さまざまな
働き方を
リスクとリターンの関係で
一律に
評価できることだ。
労働市場が
効率的なら
リスクとリターンは
釣り合っているはずだから、
ハイリスクの
ベンチャー起業家
(ホリエモン)は
成功すれば
大金持ちになり、
ローリスクの
地方公務員は
安定しているけれど
かつかつの
生活しかできない。
これは
どちらが
正しい
という
話ではなくて、
それぞれの
生き方
(価値観)の
問題だ。
・人的資本から
得られる
利益は、
投資と同様に、
元本とリスクの
大きさで
決まる。
人的資本
(元本)を
たくさん
持っている人は、
小さなリスクでも
十分な利益を
あげることが
できる。
逆に
人的資本が
小さければ、
大金を
稼ぐには
大きなリスクを
取るしかない。
・差別というのは、
本人の努力では
どうしようもないこと
(個人の属性)で
人を
評価することだ。
部落差別が
理不尽なのは、
人は
出自を
選ぶことが
できないからだ。
この原則は
世界共通
(グローバルスタンダード)で、
多様な属性を
持つ人たちが
混在する
アメリカでは、
人種や
性別、
宗教、
年齢によって
応募者の
採否を
決めたり
従業員を
評価することは
厳しく
禁じられている。
アメリカ人が
日本の履歴書を見て
一番
びっくりするのは、
生年月日を
書かせることと、
顔写真を
貼らせることだ。
生年月日欄は
「年齢で差別します」
と宣言するようなものだし
(日本の会社は
実際
そうしている)、
顔写真は
性別や
人種が
ひと目でわかる。
「意外な
驚きが
どこにも
ない」
ということに、
大きな
快適性の
秘密が
隠されている。
・人々は
合理化された
教育制度
(マンモス大学)から
合理化された職場
(マクドナルド)へ、
合理化された家庭
(高層マンション)から
合理化された
レクリエーション施設
(ディズニーランド)へと
移動する。
最終的には
旅行
(パックツアー)や
自然体験
(RVで過ごすキャンプ場)など、
日常の合理性から
逃避するための
ルートまで
合理化され、
人々は
合理性という
「鉄の檻」に
閉じ込められ、
その中で
生きるほか
なくなるだろう。
なぜ
こんなことに
なってしまうの。
その理由は、
考えるまでもない。
合理的なシステムは、
快適なのだ。
・能力主義社会では、
労働者は
学歴、
資格、
職歴
の3つで
評価される。
マックジョブには
学歴も
資格も
関係ないから、
残る評価基準は
職歴(経験)だけだ。
能力主義には
年功序列はないけれど、
経験が
評価の対象になることで、
職場で
長く
働いている労働者が
年齢を理由に
解雇されることも
なくなった
――ただし、
未経験の若者と
同等の給与で
働くならば。
・米系の
航空会社を
利用すると、
高齢なことに
驚くはずだ
(この間は、
着陸前に
みんなで
孫の話を
していた)。
同様に
アメリカでは、
マクドナルドや
タコベルや
たくさんの
高齢者が
働いている。
彼らは
新しい出会いを
求めているのではなく、
金銭的な報酬を
得るためだけに
仕事をしている。
労働機会の
ほとんどが
なってしまえば、
夢があろうがなかろうが、
そこで
日々の糧を
得るほかない。
能力主義と
合理化
(マクドナルド化)が
合体することで、
働くことの
風景は
劇的に
変わってしまったのだ。
・この進化論的に
最適な戦略を
確実に
実行するために、
僕たちは
好きなことに
夢中になるように
遺伝的に
プログラムされて
生まれてきた。
能力というのは、
好きなことをやって
みんなから評価され、
人より目立つことで
もっと好きになる、
という
循環の中でしか
「開発」されないのだ。
・バイク便ライダーたちは
劣悪な労働環境で
酷使され、
交通事故で
半身不随になったり、
排気ガスで
肺を悪くして
引退していく。
しかし
彼らは、
すべての矛盾を
「自己責任」と
受けとめる。
だって、
好きでやったことだから。
・人の
感情や考え方は、
他人からの
刺激によって
さまざまに
変化する。
これは、
外部からの
インプットによって
プログラムが
変わる
コンピュータ
みたいなものだ。
・ある集団の中で、
嫉妬する男と
嫉妬しない男が
半々の割合でいた
としよう。
嫉妬しない男は、
(『重力ピエロ』の父親のように)
誰の
子どもでも
一所懸命
育てる。
嫉妬する男は
自分の子ども以外、
育てようとは
思わない。
こうした条件で
数十世代を経れば、
その集団は
嫉妬する男の
子孫だけになり、
嫉妬しない男の
遺伝子は
絶滅する。
(このことは、
ゲーム理論によって
数学的に
証明できる)
・人の性格は、
そのほとんどが
無意識の
感情や
仕草、
表情や
行動によって
構成されている。
心臓の
鼓動を
進めるのも、
顔を
赤らめるのも、
涙を
こぼすのも、
すべては
脳の
活動によるものだが、
それが
無意識のうちに
行われている
としたならば、
本当の理由は
秘密のベールに
包まれたままに
ちがいない。
僕たちは
ただ、
泣いている
自分に
気がついて、
あとから
悲しい理由を
考えることが
できるだけなのだ。
・貨幣空間は、
お金を介した
コミュニケーションだから、
ものすごく
フラットだ。
いつも
買い物をする
八百屋の
おじさんに
愛情や憎悪を
感じる人は
いない。
通販で
モノを買う場合は、
相手が
何者かなんて
考えもしない。
この冷淡さが
あるからこそ、
貨幣空間は
無限に
広がっていける。
・グローバルな
市場経済では、
お金持ちは
人種や
宗教、
国籍、
性別、
政治的な
主義主張
にかかわらず、
誰とでも
積極的に
付き合い、
ビジネスを
拡大しようとする。
それに対して
貧乏人は
狭いムラ社会から
出ようとせず、
せっかくの
ビジネスチャンスを
逃してしまう。
・愛情や友情なんて
なくても、
ほんのちょっとした
きっかけさえ
あれば、
誰でも
世界の
どんな人とも
知り合うことが
できる。
これが
貨幣空間
=スモールワールドの
すごいところだ。
・地縁や血縁の
強い絆で
結ばれた
政治空間
(安心社会)では、
社会的な地位は
コネによって
決まる。
その一方で、
人と人とが
弱い絆で
つながる
貨幣空間にも、
紹介という
“人脈拡張機能”が
備わっている。
そして
面白いことに、
困ったときに
本当に役に立つのは
強い絆の
「コネ」ではなく、
弱い絆の
「紹介」なのだ。
・強い絆で
結ばれた
親しい友人は
似たような
仕事を
していることが
多いから、
転職の相談には
不向きだ。
それに対して
弱い絆の
相手は、
自分とは
異なる世界に
暮らしているからこそ、
新しい可能性を
指し示してくれる。
・貨幣空間の
成功者は、
人と人とを
つなぐことに
喜びを
見出している。
でも
これは
単なる
善意ではなく、
優秀な人材を
紹介することで
人間関係の
資産を
加えることが
できることを
知っているからだ。
紹介されたほうは
心理的な負債を
負うけれど、
これは
金銭とちがって
返済義務はなくて、
逆に
その人を
受け入れることが
貸しになったりもする。
・愛情や友情が
支配する
政治空間では
「お前は何者なのか」が
常に
問われ、
集団のルールを
知らなかったり、
空気を読めなかったりすると
仲間から
排除されてしまう。
みんなから
認められ
居場所を
与えられるためには、
周囲に合わせて
「私」を
変えていかなくては
ならない。
それに対して
貨幣空間は、
ありのままの
「私」を
受け入れてくれる。
愛情や友情に
不器用で
社会に
適応できなかった人たちも、
貨幣空間なら
何の問題もなく
生きていける。
何故なら、
「私」が
誰かは
どうでもいいことだからだ。
・僕たちは
幸福になるために
生きているけれど、
幸福になるように
デザインされている
わけではない。
・リーナスは、
人生にとって
意味のあることは
3つあり、
それは
段階を追って
進化していく
という。
第一段階は、
生き延びること。
人間は
その長い歴史の
大半を、
メス(オス)を
獲得して
次世代に
遺伝子を残すことに
費やしてきた。
第二段階は、
社会秩序を保つこと。
ヒトは
社会的な生き物だから、
群れの中でしか
生きられない。
集団の中で
少しでも
高い序列を
手に入れることが、
彼らの
人生の目的だ。
生存のための
道具から、
コミュニケーションのための
ツール(情報技術=IT)に
変化したのは、
生存から
社会性へ
という
移行を
象徴している。
そして
第三段階は、
「楽しむこと」。
豊かな社会では
生存に対する
不安は消滅し、
広大な
ネットワーク空間に
アクセスできるようになった。
そうなれば、
生きる目的は
楽しむことしかない。
・アメリカの
心理学者
エドワード・L・デシは、
簡単な実験によって、
金銭的な報酬で
やる気がなくなる
という
奇妙な心理を
証明した。
最初に
デシは、
ボランティアで
実験に参加した
大学生たちに
パズルを解かせた。
それが
十分に面白いものなら、
自由時間でも
パズルを
やる続ける
学生が
かなり
いた。
次に、
解いたパズルの
個数に合わせて
報酬を
支払うことにした。
すると
学生たちは、
自由時間には
雑誌を読んだりして
休憩するようになった。
お金は
課題に取り組む
モチベーションを
高めるのではなく、
失わせたのだ。
パズルを解くのは、
それが
面白いからだ。
ところが
金銭の報酬を
支払われると、
パズルを解くことが
仕事になってしまう。
その結果、
ゲームのルールが
変わって、
本来の
「面白さ」が
どこかに
消えてしまうのだ。
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