ひょっぽこ読書記録No.129 『ずっとうまくいく人の習慣』本田健 王様文庫 ー抜粋12箇所
『ずっとうまくいく人の習慣』
王様文庫
・私たちの人生は、
習慣で
できています。
うまくいく人には、
うまくいく習慣が、
そうでない人には、
そうでない習慣が
あります。
そして、
人生が
うまくいくコツとは、
とても簡単に
言えば、
「いい習慣」を
ひとつ身につけ、
「よくない習慣」を
ひとつ手放すことです。
それを
繰り返しているうちに、
「なんだか、
うまくいっている!」
――そんな毎日を
送っている自分に
気づくのです。
・幸せな人生を
生きたいなら、
「すべてを
手に入れようと
しない」
ことです。
・私たちは、
つい
すべてを
手に入れようと
頑張ることで
幸せを
逃してしまいがちです。
それは、
「今あるもの」を
大切にしよう
という感覚を
忘れてしまうからでしょう。
・人生において、
すべてが
手に入ることはない。
この前提で
動けば、
逆に
「自由な時間が
少し増えた」
「お金に
ちょっと
余裕ができた」
「仕事のやりがいが、
ちょっと増えた」
ということが
幸せになります。
しかも、
何かが
ひとつ、
ほんのちょっと
上がることで、
それにつられて
他のことまで
うまくいくように
なります。
・人生が
うまくいく人は
失敗とは
無縁のようですが、
起こった出来事だけを
冷静に
見つめてみると、
人生が
うまくいく人も
いかない人も、
同じように
失敗の連続です。
では、
何が違うのでしょうか。
それは、
人生が
うまくいく人は、
「失敗を
失敗にしていない」
ということです。
失敗しても、
そこから
「以前よりも、
いい状態」に
カムバック
しているのです。
実際に、
「受験や何かで
失敗した。
けれど、
それに失敗したことで、
自分が
本当に進むべき道を
見つけて
うまくいった」
という人は
たくさん
います。
・ある銀行マンの話です。
非常に優秀な
エリートでしたが、
社内の派閥争いに
負けて、
取引先の
大手家電量販店チェーンに
出向になりました。
「天下り」
と言えば
言えなくも
ありませんが、
体よく
追い出されたわけです。
大人にしてみれば、
日本の
一流銀行の
銀行マンとして
働いてきたのに、
今さら
商売など
できるか!
という
思いだったでしょう。
しかし、
彼が
そこで腐ることは
ありませんでした。
気持ちを切り替え、
その量販店の
創業オーナーを
訪ね、
「自分は
商売のことは
何もわからないから、
アルバイトから
やらせてほしい」
と頼んだそうです。
もちろん、
取引銀行からの
取締役としての
出向ですから、
アルバイトとして
働くことは
あり得ないのですが、
朝、
誰よりも早く
出社し、
店のジャンバーを
羽織って
開店前の掃除から
始めました。
その姿を見ていた
創業オーナーに
見込まれ、
そこから
彼は、
その量販店の子会社の
社長を任されて
成功させ、
今は、
ベンチャーに取り組む
人たちを
サポートする立場で
活躍しているそうです。
・慎ましやかな
生活をして
節約ばかり
している人は、
豊かさから
縁遠くなります。
ケチケチしているうちに、
毎日の生活から
潤いが
なくなってしまうからです。
一方、
無駄遣いができる人の
生活は
豊かなものに
なります。
何故なら、
無駄の周辺に
豊かさを感じる
チャンスが
眠っているからです。
「お金に恵まれる人」
というと、
お金をたくさん
持っている人のことだと
思っている人は
多いですが、
そうでは
ありません。
「普段から
お金を
よく使う人」
のほうが
お金に
恵まれているのです。
「お金を無駄に使う」
というのは、
生活以外のことに
お金を使うことです。
もちろん、
まったくの
無駄になることも
ありますが、
その無駄遣いが
その人の未来に
繋がっていたりします。
・人生が
うまくいっている人には、
面白い共通点が
あります。
それは、
お金のことを
ほとんど
考えないで、
毎日
過ごしている
ということです。
彼らは、
お金を稼ごうと
意識しなくても、
お金が
回っている人です。
「お金のため」
と思って
何かをしているわけでも
ないのに、
お金が生まれる仕組みが
できているのです。
自分の資産から
収入があったり、
自分が動くたびに
お金が発生したり
しているわけです。
だから、
お金のことを
気にせずに、
自分のやりたいことを
自由にやっています。
一方、
お金がない人ほど、
お金のことばかり
考えて
生活しています。
「お昼は
少しでも
安いものにしよう」
「あの服が欲しいけど、
セールになるまで
我慢しよう」
「今月は
お金が足りるかな」
「ノルマが
達成できそうもない。
どうしよう」
このように
お金のことばかり
考えていると、
いつの間にか
生活そのものが
「お金のため」
のものに
なってしまいます。
・年収二百万円の人の
ほとんどは
「お金が足りない」
と思って
生活しています。
年収一千万円の人も
同じように
「お金が足りない」
と思って
生活しています。
年収が二百万円の人から
したら、
「一千万円もあったら、
もっと
いろいろなことが
できるのに……」
と思うことでしょう。
でも、
年収が一千万円の人は、
高い家賃の部屋に住み、
いい食べ物を食べ、
いい服を着て……と、
年収に見合う生活を
しようとします。
ですから、
一千万円あっても、
少しも豊かな感じが
しないのです。
このように、
年収が
低い人も
高い人も、
みんな
「お金が
ちょっと足りない」
と思って
生活しています。
私の周りを
見ても、
たとえ
年収が五千万円くらい
あっても、
まだ
自分が
「勝っている」
とは思っていません。
・人は、
仕事やお金、子育てなどで
ストレスがあると、
なかなか
本来の良さが
発揮できないものです。
そのような時に、
「この人の
本当の素晴らしさが
出てきたら、
もっと
素敵な人になる」
と思ってもらえると、
たとえ、
それを
言葉で
表現してもらえなくても、
「自分の
いい部分を
見てもらえた。
この人は
私のことを
わかってくれているんだ」
と感じるのではないか
と思います。
人間関係では、
「どうして、
あんなことを
するんだろう」
とか、
「どうして、
こういうことを
やってくれないんだろう」
とか、
相手に対する
不満を
抱きがちです。
そういう時は、
つい
相手を
批判的に
見てしまっています。
ですが、
相手に対して
「今、
何か
問題を
抱えているのかも
しれない」
と思ってあげられると、
こちらも
余裕が
出てきます。
そのように思って
見てあげることで、
自分の
心の平静も
保てますし、
相手も
「わかってもらえている」
と感じてくれるかも
しれません。
人は
「自分の
最高の未来を
見てくれる人」
を好きになるものです。
それは、
男性でも
女性でも
変わりません。
・今の段階では
考えられないかも
しれないけれど、
決して
不可能ではないこと。
できるかどうか
わからないけれど、
「やれたら
すごい、
やってみたい!」
と思ってしまうようなこと。
ワクワクして、
「できたら、
どうしよう!」と、
本気で
考えてしまうようなこと……。
そんなことを
夢に描いて、
それを
実際に
実現していこうと、
絶えず
自分の
「器」を
大きくしながら
仕事をやれる人が
仕事で成功する人です。
大きな夢を描くのが
苦手な人は、
自分を
過小評価しているのかも
しれません。
それは
「謙遜」
ということも
あるかも
しれませんし、
「心の疲れ」が
原因になっていることも
あると思います。
でも、
あなたの心を
誰が覗くわけでも
ありません。
今やっていることが
吹き飛ぶくらいの
スケールで、
思い切って
夢を
「現実的に」
描いてみてください。
『パートナーとは「一心同体」』
・先日、
あるカップルから
こんな話を
聞きました。
借りてきた
DVDの映画を見て
くつろいでいた時に、
奥さんが
「ちょっと
トイレに行きたいから、
一時停止しておいて」
とご主人に頼んだところ、
「お前の近くに
リモコンが
あるじゃないか」
「いや、
あなたのほうが
近いでしょう」
と喧嘩になった
というのです。
その間、
映画は
どんどん
進行していきます。
さらには、
お互い
「相手のほうが
リモコンに近い」
と譲らないので、
実際に
距離を測ろう
ということになり、
メジャーを探しに
いったのですが、
その間も
映画は
そのまま
流れています。
ふたりは
メジャーを
探しているうちに、
最後は
「私たち
何しているんだろう」
と言って
笑ってしまったそうです。
おそらく、
付き合い始めの頃だったら、
「ちょっと
映画止めておいて」
と頼まれたら
「はい」と、
ふたつ返事で
リモコンを
取りにいったのでは
ないでしょうか。
でも、
結婚して
何年も経つと、
「仕事で
疲れているのに、
どうして
俺が
取らなくちゃ
ならないんだ」
となります。
それほどの
手間でもないのに、
何だか
自分が
犠牲になっているように
感じてしまうのです。
何故でしょうか。
実は
そこには
「相手に負けたくない」
「損をしたくない」
という
気持ちがあるのです。
これが
パートナーシップの
一番の
悲劇であり、
喜劇です。
私が
パートナーシップについて
話をする時に、
よく言うのは、
「パートナーとは
一心同体である」
ということです。
彼がやるか、
彼女がやるか、
どちらでもいいと
ふたりで同じように
思えるかどうかなのです。
カップルは
「右手」と「左手」
のようなもの。
わかりやすい例が
あります。
たとえば、
一日が終わって
眠りにつく時に、
あなたの
右手と左手が
話をするところを
想像してみてください。
右手が
「今日、
俺、
すっごく
働いたよね。
でも
君は
何をしていた?
俺が
鞄を持っていた時、
ただ
ブラブラしていただけ
だったよね」
というように
喧嘩をするでしょうか。
右手も左手も、
それぞれの役割を
果たしているはずなので、
別に
「鞄を持っていたこと」
に対して
右手が左手に
「感謝が
足りないんじゃない?」
と怒るわけでもないし、
左手が
わざわざ
「感謝している」
と言うことも
ないでしょう。
本来、
パートナーシップとは、
そのようなものです。
そして、
できることなら、
寝る前に
左手が右手に
「ありがとう、
あなたは
よく
働いてくれたね」
と言い、
右手が左手に
「君のほうこそ、
よくやってくれて
感謝しているよ」
と言って
互いに
眠りにつくのが
一番幸せなのです。
ここに気づけば
「ふたりの関係」は
一気に良くなる。
ところが、
実際には、
なかなか
そうはなりません。
右手と左手に
例えましたが、
彼女も
本当は
彼が
頑張ってくれていることは、
わかっているのです。
でも、
それを認めてしまうのは、
なんとなく
嫌なのです。
その時、
「相手に負けたくない」
と考えるのではなく、
お互いに
スクラムを組んで
一緒にやる
という感覚になると、
ふたりの関係は
一気に良くなります。
セミナーで
この話をすると、
多くのカップルが
セミナーの休憩時間に、
「私は左手だったわ」
とか、
「俺は
完全に
右手だったよ」
と話している光景を
目にします。
相手が何もしてくれない、
いろいろ
やってあげているのに
大事にされていない
と思ったら、
この
「右手と左手の話」を
思い出してみてください。
そこから
ふたりの関係は、
もっと
良いものになると
思います。