ひょっぽこ読書記録No.164 『悪魔と助産婦』タルムードより
《悪魔と助産婦》
ある村に
住んでいた。
ある時、
お産を助けた帰りが
遅くなって
凍てつく夜道を
歩いていると、
子猫の鳴く声を
耳にした。
鳴き声がする辺りを
ロウソクで照らすと、
捨て猫が一匹、
凍えて死にそうに
なっていた。
助産婦は、
持っていた
温かいミルクと毛布を
子猫に与えた。
すると、
突然
人間の声で
子猫が
話し出した。
「私は
悪魔です。
他の悪魔が
あなたを
お産の助けに
呼ぶかもしれません。
でも
人間の姿を
しているので
わかりません。
その時に
悪魔は
報酬として
持ちきれないほどの
金貨を
あなたに
差し出すでしょう。
それを受け取れば
あなた自身が
悪魔に
なってしまいます。
金貨に
惑わされず、
いつも通りの報酬を
もらってください」
このウィズダムが
私を助けてくれた
お礼です」
そう言い終わると、
子猫は
悪魔の姿になり、
闇に消えていった。
それから何か月も経った
ある日の真夜中に、
助産婦の家のドアを
ドンドンと
叩く音がした。
ベッドから起き上がって
ドアを開けると、
一人の
立派な身なりの男が
慌てた様子で
立っていた。
「妻が
今にも
出産しそうなので、
急いで
きてくれませんか」
真夜中だったが、
助産婦は
嫌な顔をせず、
すぐに
支度をして
その男の馬車に
乗り込んだ。
それから
かなりの距離を
走り、
見たこともない
お城に着いた。
男は城主だった。
若い妻の出産に
ギリギリ間に合い、
無事
赤ん坊を
取り上げることが
できた。
「よくぞ
こんな夜中に
遠いところを
来てくださった。
私の心ばかりの
お礼を
ぜひ
受け取ってください」
城主は
大層感謝し、
召使に命じて
重そうな袋を
持ってこさせた。
助産婦が
袋を開けてみると、
なんと
眩い金貨で
埋まっていた。
彼女が
一生働いても
こんな大金は
稼げない。
貧しい助産婦は、
思わず
その金貨に
手を伸ばそうとしたが、
その瞬間、
いつかの
猫の忠告を
思い出した。
それで
こう返事をしたのだった。
「こんな大金は
受け取れません。
銅貨一枚だけで
結構です」
銅貨一枚が
助産婦の
いつもの報酬だった。
城主に
何度も
金貨を受け取るように
言われたが、
助産婦は
固く辞退して、
お城を後にした。
馬車で送ってくれた
城主は、
馬車の中で
しつこく
聞いてきた。
「私が
差し上げたい
と言っているのだから、
遠慮は
いらない。
何も
悪いことをして
大金を
手にするわけではない。
どうして
受け取らなかったのかね?」
そこで、
助産婦は
かつて助けた猫が
悪魔であったことや、
その悪魔が
授けてくれた
ウィズダムについて
話した。
その話を聞くと、
城主は
悪魔の姿になり、
「お金の誘惑に負けない
人間がいることを
初めて
知った。
この次は
お金ではなく、
ご馳走で
人間を
誘惑することにしよう」
と呟いて
消えた。
それから
何年も経った
ある日、
村のラバイが
見知らぬ人の葬式に
招かれた。
ラバイは
遠いお城に
連れていかれたが、
そこで
死者を
丁重に
弔った。
そこで城主は
お礼にと、
今まで
ラバイが
食べたこともないような
豪華な食事に
招いた。
しかし、
ラバイは
助産婦から
話を聞いていたので、
思わず
よだれが垂れそうな
食事には
一切手をつけず
辞去した。
城主は
ラバイの前には
二度と
現れなかった。
数年後、
同じ村の
モヘル
(割礼手術をする人)
のところに、
見知らぬ人から
依頼が来た。
このモヘルは
ケチで有名だった。
「モヘルをして、
真面目に仕事をし、
ユダヤ教の勉強を
しているのだから、
寄付はしない」
と言い、
小間物問屋とモヘルの
仕事で
お金を貯め、
一切の
ツェダガ
(収入の十分の一を
寄付する
ユダヤの習慣)
をしていなかった。
モヘルが
出向いた先は、
立派な城で、
男の子が
毛布に
くるまれていた。
急いで
割礼手術を施すと、
その城主は
大変感謝し、
「ぜひ
受け取ってください」
と金貨の詰まった袋を
差し出した。
モヘルは
辞退した。
すると
「では
豪華な食事を
ぜひ
食べていってください」
と言われたので、
これも断った。
ラバイから
話を聞いていたからだった。
すると
城主は悪魔になった。
「おまえは
ケチだと
聞いていたが、
金貨にも
ご馳走の誘惑にも
負けないので
諦めよう。
ただし、
一つだけ
忠告しよう。
今後も
今までのように
ツェダガを
しないのであれば、
いずれ
お前は
悪魔の世界に
引き込まれるであろう」
そういうと、
悪魔は
消えていった。
村に戻って
ラバイに
この話をすると、
「それは
悪魔の
言う通りだ」
と、
ラバイからも
忠告を受けた。
それ以来、
このモヘルは
心を改め、
ツェダガを
一生懸命
行うようになった。
・人のために
お金を使えば
長く幸せになれる。
決して
お金の奴隷になるな。
「不相応な大金は、
人がくれる
といっても
手にしては
いけない」
「不相応に
贅沢で
豪華な食事を
振る舞われても、
決して
口にしては
いけない」
「貧しい人のために
寄付しなければ、
悪いことに
引き込まれて
幸せには
なれない」
ユダヤ教では
金儲けも食事も、
すべて
貧しいくらいに
控えめにすること、
弱い者のために
寄付せよと
教える。
そして
自分が
お金を稼ぐ
年齢になってからは、
せっせと
寄付に
励むようになる。
その行為が
結局は
自分を
幸せにしてくれると
信じているからだ。
ツェダガとは、
貧しくても
お金持ちでも
収入の十分の一を
寄付しなさい
という
ユダヤ教の教えである。
使い切れないで
死ぬ時に
地獄か天国に
持っていくお金が
残ることになるのは、
ツェダガが足りなかった
証拠であり、
「金貨が
パンパンに
詰まった財布には
祝福は
訪れない」
というのが
ユダヤの教えである。
パンパンにならないように
常に
収入の十分の一を
寄付するのだ。
また、
うまい儲け話や
不相応な接待には
決して
乗らない。
そうした話には
必ず
裏があり、
悪いことに
引き込まれる
予兆だと
考えるからだ。
仕事の正当な報酬は、
家族を
支えるほどのもので良く、
それ以上のものを
差し出されても
受け取るべきではなく、
無論
こちらから
請求などしては
ならない。
万が一
思いもかけない
報酬を
受け取ってしまったら、
貧しい人のために
寄付をするべきだと
ほとんどのユダヤ人が
考える。
「金貨は
よい輝きを
放つが、
ありすぎると
周辺の温度を
下げる」
「金持ちに
相続人はいても
子供はいない」
親の財産を
独り占めするような
悪しき子供に
ならないように、
そして
誘惑に負けて
金の奴隷に
ならないように
するためには、
次の
五つの心構えを
親は教えなさいと
ラバイは説教する。
五つの心構えとは、
①適正
→身の丈にあった
報酬、生活をせよ。
②自己規制
→日々勉強を
重ねよ。
③自己抑制
→誘惑に負けないように
自分を抑えよ。
④自己管理
→しっかり
自分を管理せよ。
⑤正直
→嘘をつかず、
正直に生きよ。
ユダヤ人は
この五つの言葉を
いつも
心に留めて
生活している。
「今日
あなたは、
自分の
穀物倉庫を見て
穀物の量を
数えようとした。
その瞬間
あなたは
神から
見放される」
この格言は、
お金や物など
「数えられるもの」に
幸せは宿らない、
ということを
教えている。
「ああ、
今日は
これだけ
儲かった」
「今月の収入は
いくらだ」
と考えた瞬間に、
ユダヤでは
「神の庇護が
なくなる」
と言われている。