ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.165 『神との交渉』タルムードより

 

 

《神との交渉》

 

 

 

 神

「ソムドの町は

 悪人で満ちている。

 すべて

 焼き払わねば

 なるまい」

 

 アブラハム

「ちょっと

 お待ちください。

 もし

 ソドムの町に

 五十人の善人が

 残っているとしたら、

 神様は

 善人も悪人も一緒に

 焼き払う

 おつもりですか?」

 

 神

「いいや、

 もし

 五十人も

 善人がいるなら、

 町全体を

 焼き払うことは

 しない」

 

 アブラハム

「私アブラハム

 神様から見れば

 取るに足らない

 クズのような

 人間です。

 失礼を承知で

 もう一つだけ

 お聞きしても

 良いでしょうか。

 五十人と言いましたが、

 それから

 五人ほど

 少なかっただけなら

 どうでしょうか。

 あまり変わらないと

 思いますが」

 

 神

「うむ。

 四十五人くらいなら、

 その四十五人の

 善人のために

 町は救おう」

 

 アブラハム

「失礼ながら

 もう一つ

 聞いても

 いいでしょうか。

 今、

 四十五人と

 言いましたが、

 それが

 五人ほど

 少なくとも

 町を焼き払うの

 でしょうか。

 それが

 神の正義

 というもの

 でしょうか」

 

 神

「うむ。

 四十人も

 善人がいれば、

 ソドムの町を

 救っても良い」

 

 アブラハム

「神様、

 私も

 自分でも

 少しくどいと

 思っていますので、

 お怒りにならずに

 もう一つ

 聞いてください。

 四十人から

 十人欠けて

 三十人

 善人がいても、

 町全体を

 焼き尽くす

 おつもりですか?」

 

 神

「いいや、

 三十人いれば、

 町を助けよう」

 

 こうして

 アブラハムは、

 神と交渉をし続け、

 最終的に

 十人

 善人がいれば

 町を焼き払わない

 という約束を

 取りつけたのだった。

 

 

・しつこい交渉と

 少しの成果の積み重ね。

 相手が誰であっても

 諦めない。

 

 

 ヘブライ聖書には、

 こんな調子で

 アブラハムが、

 自分のことを

 クズだの

 くどい男だのと

 へりくだりながら、

 巧妙に

 神を

 交渉の場に

 引きずり出している

 様子が、

 こと細かに

 記されている。

 そして

 最初は

 五十人の

 善人がいれば

 町を助ける

 という交渉から、

 なんと

 十人まで

 交渉を続けて

 神の譲歩を

 勝ち取るのである。

 まさに

 粘り勝ちだ。

 聖書の話には

 続きがあって、

 アブラハム

 交渉に骨を折ったものの、

 ソドムの町には

 十人も善人が

 いなかったようで、

 結局

 町は

 神の怒りに触れて

 焼き払われてしまう。

 この説話からは

 さまざまなことが

 読み取れるが、

 まずその一つは、

「どんな相手であっても

 諦めずに

 立ち向かえ」

 という

 実行する勇気である。

 相手が神であっても

 闘いを挑む

 勇気を持て

 と教えているのだ。

 残念ながら

 最後の最後で

 アブラハムの交渉は

 頓挫したが、

 もし

 善人が十人いたら

 町が助かる

 チャンスはあったのだ。