ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ独学読書ノートNo.62 『世界は感情で動く』マッテオ・モッテルリーニー著 ー抜粋25箇所

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『世界は感情で動く』

 行動経済学からみる

 脳のトラップ

   マッテオ・モッテルリーニー著

   泉典子訳

    紀伊國屋書店

 

 

 

・いかなる精神も、

 自分自身を

 考える力が

 なければ、

 十分な力は

 持てない。

 

 

・無意識の認知は

 言ってみれば

「無意識の先導」で、

 周囲からの

 挑戦を

 唯一可能な

 方法でさばくために、

 進化の過程で

 身につけたものである。

 唯一可能な方法とは、

 生存に適した

 一連の行動を、

 少しばかりの

 洗練された

 情報をもとにして、

 すばやく

 決定する

 という

 方法である。

 無意識の認知は、

 私たちの

 精神が

 練り上げる

「怠慢」の

 プログラムで、

 私たちは

 それに、

 うまく

 生きていくのに

 必要なデータを

 整理する役目を

 負わせている。

 それは、

 骨の折れない、

 かなり

 巧妙で

 効率の良い

 やり方である

 と言える。

 

 

・たとえば

 友達と

 会話をしていると

 しよう。

 私たちは

 話しながら、

 語法だの

 口調だのは

 気にしない。

 それでも

 言いたいことの

 意味は

 問題なく

 伝わるし、

 相手のほうも、

 話の内容を

 理解するのに

 いちいち

 語法や発音の

 方法などを

 考えたりはしない。

 ふたりとも、

 音で表された

 内容を読み取る

 頭の作業の

 結果を

 確認するだけで、

 会話を

 成り立たせている

 作業について、

 意識的に

 考えようなどとは

 思わない。

 その意味で、

 認知の活動は

 していても、

 無意識だということだ。

 

【e-soda】で始める炭酸水のある生活

 

・もし

 あらゆる

 無意識の

 プロセスが

 意思による

 集中に

 頼っているなら、

 頭の中で

 一生

 計算ばかり

 していなければ

 ならなくなり、

 何かを

 把握することだけでも

 大仕事で、

 ものごとの

 決定などは

 できなくなる。

 もし

 何かを

 決定する段になるたびに、

「注意力」という

 乏しい資源の

 助けを

 借りなければ

 ならないとすると、

 ただの一日も

 過ごすことも

 難しくなるだろう。

 

 

「精神の

 この作業は、

 コストと利益

 という

 関係において、

 はかりしれないほど

 不経済なので、

 我々の脳は、

 精神が

 それを

 意識していなくても、

 利益を越える

 コストをかける

 べきではないことを

 [……]知っている」

 

 

・進化は

 私たちの脳に、

 常に

 節約せよ

 と命令してきた。

 たとえば

 ものを

 見るときの

 やり方を

 考えてみよう。

 人間の

 目が感知する

 色は、

 赤から

 紫に

 移る。

 カーネマンらの友人で

 仕事仲間でもある

 アンドレア・モーロが

 指摘するように、

 赤外線も

 見えたほうが

 良かったのでは

 ないだろうか。

 そうすれば

 はるかに

 便利になる。

 闇の中でも

 血管の通った

 生体が

 見えるし、

 やけどを

 起こしそうなものも

 ひと目で

 感知できる。

 しかし

 それが

 できたとしても、

 コストと利益の間の

 関係は

 それほどいいとは

 言えない。

 私たちの目は

 電磁波スペクトルの

 狭い領域しか

 感じとれないからこそ、

 過剰な情報で

 脳に

 負担をかけたりは

 しないのだ。

 その分だけ

 刺激への

 反応のスピードが

 増している。

 スピードは

 現状のままにして、

 管理すべき情報量を

 増やせば、

 認知のコストは

 耐え難いほどに

 なってしまう。

 視覚にとっても、

 言語を管理する

 別の認知の

 部分にとっても、

「現在の状態は

 全体として、

 あり得る状態の中で

(多すぎる不利益を被らない)

 許容できる

 均衡状態である

 ということだ」。

 

 

「いかなる精神も、

 自分自身を

 考える力が

 なければ、

 十分な力は

 持てない」

 

 

・私たちの

 頭には、

「知っていることを

 知っている」ことの

 大切さを

 認識する

 能力があり、

 誤りを

 生み出す

 思考とは

 どんなものかを

 知ることの

 大切さも

 理解できるのだ。

 

 

・予言の自己成就

→self-fulfilling prophecy 。

 個人が

 自己の

 予測や願望に

 沿うような

 行動をとった場合、

 社会現象として

 その通りの

 結果が

 出現すること。

 すなわち、

 予言されることによって

 予言されたことが

 現実のものになり、

 人びとが

 自分たちの

 共有した

 知識に基づいて

 行動することによって、

 その知識が

 自分のものになって

 自己成就する。

「地価は上がる」

 と人びとが

 信じることにより、

 実際に

 地価は上がり、

「地価は上がる」

 と信じている限り、

 地価は

 上がり続ける。

 その逆もあるわけで、

「銀行が倒産する」

「危険物が混入されている」

 などと

 人びとが

 予測して、

 預金引き出しに

 殺到したり、

 購買拒否したりすれば、

 銀行や食品会社は

 あっという間に

 倒産してしまう。

「思い込み」や「風評」の

 恐ろしさは

 他人事ではない。

 とりわけ、

 現代は

 インターネットの時代。

 サイバー社会の

「予言」の

 スピードとパワーは

 半端ではないのだ。

 

 

・私たちが

 影響を

 受けるのは、

 自分の思い込みだけ

 ではない。

 驚くことに、

 他人の思い込みが

 間接的に

 私たちに

 及ぼす

 影響も

 バカにできないのだ。

 

 

・ある小学校での

 実験では、

 二人の

 心理学者が

 あるクラスの

 子どもたちに

 偽のテストをして、

 教師たちには、

 このテストで

 子どもたちの

 潜在的知能が

 測れる

 と説明した。

 二人は

 テストの結果を

 入念に調べる

 ふりをして、

 その後

 教師たちに、

 テストを受けた

 子どものうち

 四人の

 知能が

 これから

 何カ月かのうちに

 飛躍的に

 伸びるだろう

 と言った。

 心理学者たちは

 前もって

 クラスの

 名簿から

 でたらめに

 四人を

 選び出していた。

 さて

 どうなったであろうか。

 その四人は

 本当に

 成績が

 良くなったのだ。

 驚くことに、

 教師が、

 自分や親たちの

 期待に押されて、

 四人の子どもに

 力を注ぎ、

 いつもより

 注意深く、

 熱心に

 教えていたのである。

 

 

・この場合の

 強固な

 トラップは、

 自分や他人の

 思い込みを

 避けがたい

 と考えることに

 ある。

 頭が硬く、

 おまけに

 無精だったり

 自信がなかったりすると、

 ものごとを

 別な視点から

 眺めてみようと

 しない。

 これこそが

 他人の

 判断や偏見を

 測るための

 方策であるのに。

 

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・どちらが

 イライラ

 しているだろうか。

→鈴木氏は

 環状線

 渋滞に

 巻き込まれた。

 会社に着くまで

 20分ほど

 車の列から

 出られない。

 タクシーは

 初めのうちは

 実に

 のろのろ

 動いていたが、

 だんだん

 速くなり、

 最後の

 5分は

 ほとんど

 スムーズに

 走った。

 山田氏も

 同じく

 車の渋滞に

 巻き込まれ、

 会社に着くまで

 20分ほど

 列の中に

 いるはめになった。

 山田氏の

 乗った

 タクシーは、

 初めは

 かなり

 スムーズに

 走っていたのに、

 だんだん

 スピードが落ちて、

 最後の

 5分は

 人の歩く

 速さくらいに

 なってしまった。

 さて

 会社に着いたとき、

 この二人のうち、

 どちらが

 余計に

 イライラしていると

 思いますか?

 

 

・どちらが

 楽しめたか。

→その日の

 夜のこと、

 鈴木氏も山田氏も

 居間のソファに

 深く

 身を沈めて、

 大好きな

 交響曲の録音を

 楽しんでいた。

 鈴木氏の

 レコードは、

 初めの

 5分間は

 耳障りな

 雑音が

 多かったが、

 その後の

 15分間は

 申し分のない音で

 CDを録音できた。

 山田氏のほうは、

 最初の

 15分間は

 期待を裏切らない音で

 録音できたが、

 最後の

 5分間は

 耳障りな

 雑音が

 多かった。

 さて、

 この二人のうち、

 どちらが

 録音を

 楽しめたと

 思いますか?

 

 

・どちらの

 ケースでも、

「客観的」に見れば、

 鈴木氏と山田氏は

 同じ体験を

 している。

 二人とも

 20分間

 渋滞に

 巻き込まれ、

 二人とも

 20分間

 音楽を楽しんだ。

 しかしながら、

 これらの

 出来事への

 主観的な

 捉え方は

 同じではない。

 どうしてだろうか。

 

 

・この答えは、

 私たちの

 記憶の

 働きにある。

 記憶は

 単なる

 事象の寄せ集め

 ではなく、

 その事象に

 感情を

 からみあわせて、

 再構成させようとする。

 そのようにかと

 言えば、

 ある経験の

 良し悪しを

 判断するとき、

 その出来事全体の

 継続時間には

 関係なく、

 その経験が

 最も

 強烈だったとき、

 および、

 その経験の

 最後の時間に

 焦点を当てるのだ。

 これを

 発見した

 カーネマンは、

 この現象に

「ピーク・エンドの法則」

 という

 名前をつけた。

 この法則によれば、

 鈴木氏は

 まさに

 最後の

 5分間に

 出来事の把握を

「ゆがめ」られ、

 イライラが解消し、

 山田氏は

 最後の

 5分間の

 耳障りな

 雑音で

 音楽を楽しむ

 時間を

 台無しに

 されたのである。

 

 

・ピーク・エンドの法則。

→peak-end rule 。

 カーネマンが

 1999年に

 発表した

「あらゆる経験の

 快苦は、

 ほぼ完全に

 ピーク時と終了時の

 快苦の

 度合いで

 決まる」

 という法則。

 経験の記憶は

 主観によって

 変えられ、

 その出来事の

 長さには

 関係ない

 という

 特徴がある。

 この法則が

 示唆するところは

 大きい。

 人間の記憶は

 すべからく

 捏造される。

 出来事の

 すべてを

 逐一

 記憶することは

 不可能なので、

 その経験の

 ピーク時と最後のあたりの

 記憶が、

 その経験の

 快苦の

 すべてを

 決定してしまうことに

 なるのだ。

 日常生活の中でも、

 このようなことは

 よくある。

 交渉事でも、

 山場となる

 契約のための

 条件や数字の詰めの話も

 さることながら、

 最後の別れ際の

 挨拶が

 相手の好印象を

 勝ち取れば、

 交渉を

 成功に

 結びつけることが

 できる。

「終わり良ければ

 すべて良し」。

 たとえ

 つらい経験でも

「記憶の錯覚」によって

 幸福な経験になることも

 あるので、

 このトラップは

「使いよう」

 とも言える。

 

 

・参加者たちは、

 うるさい音を聞く

 という

 苦痛な体験を、

 2回

 こなす。

 1回目

 78デシベルの音が

 16秒間

 続く。

 2回目

 78デシベルの音が

 16秒間

 続いた後で、

 66デシベルの音が

 8秒間

 続く。

 ここで

 参加者たちに、

 もう一度

 くりかえすとしたら、

 1回目と2回目、

 どちらの体験が

 いいか

 とたずねる。

 

 

・この文章を

 読んでいる

 あなたなら、

 答えは

「決まっている」

 と思うだろう。

 しかし、

 あなたの

 予想に反し、

 実際に

 この体験をした

 大多数は

 2回目がいい

 と答えたのだ。

 これは

 実に

 奇妙である。

 66デシベルの音を

 余計に

 8秒間

 聞かされるより、

 その8秒間が

 静かなほうが

 いいのは

 明らかだ。

 もし

 初めの

 16秒の後、

 音が

 ボタンの操作などで

 中断できるなら、

 もちろん

 そうしていただろう。

 しかし

 実験が

 導き出した

 結果は

 明らかだった。

 マゾヒストでもない人が、

 繰り返してもいい

 体験として、

「不快感の少ない」ほうを

 選んだ。

 それは、

 論理には反するが、

「ピーク・エンドの法則」には

 合致する、

 2回目

 という

 選択だった。

 不快な体験の上に

 さらなる

 不快な体験を

 加えることは、

 たとえ

 後のほうが

 不快さが少なくても、

「理論的」には、

 その体験を

 全体として

 改善することには

 ならない。

 ところが

 実際には

 そうなったのだ。

 

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・第一グループ

 通常の

 結腸鏡検査を

 受ける。

 第二グループ

 通常の

 結腸鏡検査を

 受けた後に、

 結腸鏡の先端を

 何分かだけ、

 直腸の中に

 残しておく。

 その後、

 両グループに、

 この検査の

 苦痛について

 評価を聞く。

 

 

・第二グループには、

 通常の検査の後に

 医学的には

 不要なものを

 付け加えたわけだが、

 その最後の

 数分の不快感は、

 通常の検査の

 不快感より

 小さい

 というのが

 ミソである。

 この通常より

 長い、

 しかし

 最後の部分の

 苦痛は少ない

 検査は、

「検査後の」

 苦痛についての

 総合的評価を

 約10%

 下げた。

 さらに、

 その後の

 5年間も

 結腸鏡検査を

 受けよう

 という

 気持ちを

 より大きくした。

 通常の検査を

 受けた人は

 32%が

 その後も

 検査を

 受けに来たが、

 医学的には

 余計な検査も

 受けた患者のほうは、

 43%が

 その後も

 検査を

 受けに来た。

 

 

・行きたいところへ

 行くのと、

 行きたくないところへ

 行くのとでは、

 どちらに

 多くの

 お金を

 かけても

 いいですか?

 

 

・外の天気は

 小春日和で

 気持ちが

 良さそうだ。

→3月の

 ある日、

 数人の友人たちと

 屋内タイプの

 ミニサッカー場

 予約して、

 使用料も払った。

 でも

 その日は

 小春日和で

 ぽかぽかと

 暖かかった。

 屋外で遊ぶほうが

 断然

 気持ちが良さそうだけれど、

 屋内を選んで

 もう

 8千円を

 払ってしまった。

 さて

 どうしたら

 いいだろう?

 

 

・ちょっと

 考えただけで、

 外で遊んで、

「せっかくの日和を

 最大限に

 利用するほうがいい」ことは

 わかる。

 それこそ

 ごく

 当然の選択だ。

 8千円は

 もう

 消えてしまって、

 戻ってはこないのだから、

 そんなお金に

 こだわっていても

 しょうがない。

 しかし

 大方の人が、

 それを

 行動に移すことは

 しない。

 過去の投資に

 未練を感じて、

 たとえ

 そのために

 不利益が生じても、

 将来のための

 決断を

 ためらってしまう。

 

 

「済んだことは

 済んだこと」

 に決まっている。

 使ってしまった

 お金やエネルギーが

 将来の選択に

 影を落とすようでは

 困る。

 将来のための

 選択は、

 実際に

 大事なこと、

 すなわち

 選択の結果

 出てくる

「将来の」

 コストと利益を

 ベースにしなければ

 ならない。

 それなのに、

 メンツのためか、

 他人の目を恐れてか、

 あるいは

 手につけた

 仕事は終わらせたいためか、

 もうダメだと

 わかった時点で

 誤りを認めて、

 すでに

 進行中の

 プロジェクトに

 終止符を打つことは、

 たやすいことではない。