ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.8 (抜粋16箇所)『モモ』ミヒャエル・エンデ

 

 

『モモ』

  ミヒャエル・エンデ

 

 

 

・舞台のうえで演じられる

 悲痛なできごとや、

 こっけいな事件に

 聞きいっていると、

 ふしぎなことに、

 ただの芝居にすぎない

 舞台上の人生のほうが、

 じぶんたちの日常の生活よりも

 真実にちかいのではないか

 と思えてくるのです。

 

 

・モモだけは

 いつまでも

 ベッポの返事を待ちましたし、

 彼のいうことが

 よく理解できました。

 こんなに時間がかかるのは、

 決してまちがったことを

 言うまいとしているからだと、

 知っていたからです。

 ベッポの考えでは、

 世の中の不幸というものは

 すべて、

 みんながやたらと

 うそをつくことから

 生まれている、

 それも

 わざとついたうそばかりではない、

 せっかちすぎたり、

 正しくものを見きわめずに

 うっかり口にしたりする

 うそのせいなのだ、

 というのです。

 

 

「とっても長い道路を

 うけもつことがあるんだ。

 おっそろしく長くて、

 これじゃあ

 とてもやりきれない、

 こう思ってしまう。」

「そこで

 せかせかと

 働きだす。

 どんどん

 スピードを

 あげてゆく。

 ときどき

 目をあげてみるんだが、

 いつ見ても

 のこりの道路は

 ちっともへっていない。

 だから

 もっとすごいいきおいで

 働きまくる。

 心配で

 たまらないんだ。

 そして

 しまいには

 息がきれて、

 働けなくなってしまう。

 道路はまだ

 のこっているのにな。

 こういうやり方は、

 いかんのだ。」

「いちどに

 道路ぜんぶのことを

 考えてはいかん、

 わかるかな?

 つぎの一歩のことだけ、

 つぎのひと呼吸のことだけ、

 つぎのひと掃きのことだけを

 考えるんだ。

 いつも

 ただ

 つぎのことだけをな。」

「すると

 たのしくなってくる。

 これが

 だいじなんだな。

 たのしければ、

 仕事が

 うまくはかどる。

 こういうふうにやらにゃあ

 だめなんだ。」

「ひょっと

 気がついたときには、

 一歩一歩進んできた道路が

 ぜんぶおわっとる。

 どうやってやりとげたかは、

 じぶんでもわからんし、

 息もきれてない。」

「これが

 だいじなんだ。」

 

 

・とても

 とても

 ふしぎな、

 それでいて

 きわめて

 日常的な

 ひとつの秘密があります。

 すべての人間は

 それにかかわりあい、

 それをよく知っていますが、

 そのことを考えてみる人は

 ほとんどいません。

 たいていの人は

 その分けまえをもらうだけもらって、

 それをいっこうに

 ふしぎとも思わないのです。

 この秘密とはーー

 それは

 時間です。

 

 

・時間をケチケチすることで、

 ほんとうは

 ぜんぜんべつのなにかを

 ケチケチしているということには、

 だれひとり

 気がついていないようでした。

 じぶんたちの生活が

 日ごとにまずしくなり、

 日ごとに画一的になり、

 日ごとに冷たくなっていることを、

 だれひとり

 みとめようとはしませんでした。

 

 

・時間とは、

 生きるということ、

 そのものなんです。

 そして

 人のいのちは

 心を住みかとしているのです。

 

 

・もちろん

 こういうおもちゃは

 とても高価ですから、

 モモのこれまでの友だちは

 ひとつも

 もっていませんでしたーー

 モモがもっていないことは

 言うまでもありません。

 とりわけこまるのは、

 こういうものは

 こまかなところまで

 いたれりつくせりに

 完成されているため、

 子どもが

 自分で空想を働かせるよちが

 まったくないことです。

 ですから

 子どもたちは

 なん時間も

 じっとすわったきり、

 ガタガタ、ギーギー、ブンブンと

 せわしなく動きまわる

 おもちゃのとりこになって、

 ながめてばかりいますーー

 けれど

 頭のほうは

 からっぽで、

 ちっとも働いていないのです。

 ですから

 けっきょく

 子どもたちは、

 むかしながらの遊びに

 またまいもどることになります。

 これなら、

 二つか三つの木箱とか、

 やぶれたテーブルかけとか、

 モグラが盛り上げた土の山とか、

 ひとすくいの小石とか

 があればじゅうぶんで、

 あとは

 なんなりと

 空想の力で

 おぎなうことができるのです。

 

 

・いぜんにはな、

 みんなは

 モモのところに

 話を聞いてもらいに

 よくきたもんだ。

 聞いてもらっているうちに、

 みんなは

 じぶんじしんを

 見つけだしたんだーー

 おれの言う意味が

 わかってもらえるかな。

 ところが

 いまじゃ、

 みんなはもう

 そんなことはしたがらない。

 いぜんにはな、

 みんなは

 おれの話を聞きにも

 よくきたもんだ。

 そして

 じぶんじしんを

 わすれたもんだ。

 ところが

 それもいまじゃ

 したがらない。

 そんなことにつかう時間がない

 って言っている。

 そして

 おまえら

 子どもたちのための時間もない

 って言うんだろ。

 これでなにか、

 わかることが

 ありゃしないか?

 おかしいじゃないか、

 どういうことにつかう

 時間がなくなったのか、

 考えてみろよ!

 

 

・ここの通りは

 見わたすかぎり

 からっぽでした。

 人間ばかりか、

 犬も、

 鳥も、

 車も

 いません。

 なにもかも、

 まるで

 ガラスケースにでもおさまっているように、

 動きが

 まったくありません。

 空気すら、

 そよとも動かないのです。

 モモは、

 ここではカメが

 まえよりもっと

 ゆっくり歩いているのに、

 じぶんたちが

 すごく早くまえにすすむのに

 びっくりしました。

 

 

・三人のきょうだいが

 ひとつの家に住んでいる。

 ほんとは

 まるですがたがちがうのに、

 三人を見分けようとすると、

 それぞれたがいに

 うりふたつ。

 一番うえは

 いまいない。

 これから

 やっとあらわれる。

 二番目も

 いないが、

 こっちは

 もう出かけたあと。

 三番目のちびさんだけが

 ここにいる、

 それというのも、

 三番目がここにいないと、

 あとの二人は、

 なくなってしまうから。

 でも

 そのだいじな

 三番目がいられるのは、

 一番目が二番目のきょうだいに

 変身してくれるため。

 おまえが三番目を

 よくながめようとしても、

 見えるのはいつも

 ほかのきょうだいの一人だけ!

 さあ、

 言ってごらん、

 三人は

 ほんとは一人かな?

 それとも二人?

 それともーー

 だれもいない?

 さあ、

 それぞれの名前を

 あてられるかな?

 それができれば、

 三人の偉大な支配者が

 わかったことになる。

 三人は

 いっしょに、

 大きな国をおさめているーー

 しかも

 彼らこそ、

 この国そのもの!

 そのてんで

 三人はみなおなじ。

 

 

・時間はあるーー

 それは

 いずれにしろ

 たしかだ。

 でも、

 さわることはできない。

 つかまえられもしない。

 においみたいなものかな?

 でも

 時間て、

 ちっともとまってないで、

 動いていく。

 すると、

 どこからかやってくるに

 ちがいない。

 風みたいなものかしら?

 いや、

 ちがう!

 そうだ、

 わかった!

 一種の音楽なのよーー

 いつでもひびいているから、

 人間が

 とりたてて聞きもしない

 音楽。

 でも

 あたしは、

 ときどき

 聞いていたような気がする。

 とってもしずかな音楽よ。

 

 

「いや、

 そうではない。

 わたしはただ

 時間をつかさどつているだけだ。

 わたしのつとめは、

 人間のひとりひとりに、

 その人のぶんとして

 定められた時間を

 くばることなのだよ。」

「それなら、

 時間どろぼうが

 人間から時間を

 これいじょう

 ぬすめないようにすることだって、

 わけもないことでしょう?」

「いや、

 それはできないのだ。

 というのはな、

 人間は

 じぶんの時間を

 どうするかは、

 じぶんで

 きめなくてはならない

 からだよ。

 だから

 時間をぬすまれないように

 守ることだって、

 じぶんでやらなくてはいけない。

 わたしにできることは、

 時間をわけてやることだけだ。」

 

 

・時計というのはね、

 人間ひとりひとりの

 胸のなかにあるものを、

 きわめて不完全ながらも

 まねて象ったものなのだ。

 光を見るためには目があり、

 音を聞くためには耳があるのと

 おなじに、

 人間には

 時間を感じとるために

 心というものがある。

 そして、

 もし

 その心が

 時間を感じとらないようなときには、

 その時間は

 ないもおなじだ。

 ちょうど

 虹の七色が目に見えない人には

 ないもおなじで、

 鳥の声が耳の聞こえない人には

 ないもおなじようにね。

 でも

 かなしいことに、

 心臓は

 ちゃんと生きて

 鼓動しているのに、

 なにも感じとれない

 心をもった人がいるのだ。

 

 

・もし

 人間が

 死とはなにかを知ったら、

 こわい

 とは思わなくなるだろうにね。

 そして

 死をおそれないようになれば、

 生きる時間を

 人間からぬすむようなことは、

 だれにもできなくなるはずだ。

 

 

・もどりたくても、

 もうもどれない。

 ぼくはもう

 おしまいだ。

 おぼえているかい、

「ジジは

 いつまでもジジだ!」、

 ぼくは

 そう言ってたね。

 でも

 ジジは

 ジジじゃなくなっちゃったんだ。

 モモ、

 ひとつだけ

 きみに言っておくけどね、

 人生でいちばん危険なことは、

 かなえられるはずのない夢が、

 かなえられてしまうことなんだよ。

 いずれにせよ、

 ぼくのような場合は

 そうなんだ。

 ぼくにはもう

 夢がのこっていない。

 きみたちみんなのところに

 かえっても、

 もう夢は

 とりかえせないだろうよ。

 もうすっかり

 うんざりしちゃったんだ。

 

 

・いま

 ぼくにできる

 たったひとつのことーー

 それは

 口をとざすこと、

 もうなにも物語らないこと、

 のこりの人生をずっと、

 それとも

 せめて、

 ぼくが

 すっかりわすれられて、

 また無名の

 まずしい男になりきってしまうまで、

 だまっていることだろうね。

 だが、

 夢もなしに

 びんぼうでいるーー

 いやだ、

 モモ、

 それじゃ地獄だよ。

 だから

 ぼくは、

 いまのままのほうが

 まだましなんだ。

 これだって

 地獄にはちがいないけれど、

 でも

 すくなくとも

 いごこちはいい。

 ーーああ、

 ぼくは

 なにをしゃべっているんだろう?

 きみには

 もちろん、

 ぜんぶわかるはずもないよね。