ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.99 『なぜこの人と話をすると楽になるのか』吉田尚記 太田出版 ー抜粋23箇所

 

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『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』

   吉田尚記

    太田出版

 

 

 

・たぶん、

 自分が傷つくのも

 嫌だけど、

 それ以上に

 人を傷つけるのが

 嫌だっていう

 意識があると

 思うんです。

 こんな私と

 時間を過ごさせて

 悪かったみたいな、

 ネガティブな気持ちに

 なるんじゃないですか。

 

 

・コミュニケーションの本と

 ダイエットの本

 というのは

 本屋さんの店頭から

 なくならない。

 世の中には

 太っている人と

 口下手が

 常にいる。

 現代人の悩みは

 きっと、

 太ってしまうことと

 人とうまく話ができないこと

 なんです。

 

 

・毎日

 熱心に

 釣りをしている

 ひとりの男に

 投資家が

 話しかけます。

「そんなに

 釣りが好きなら、

 もっと

 一所懸命

 やったらどうだ?」

 船を出して

 魚がとれたら

 市場へ売りに行って、

 儲かったら

 もっと大きな船を買って

 人を雇って、

 さらに儲かったら

 船団をつくって

 会社にして、

 儲かったお金で

 会社を大きくしろよ。

――投資家らしいですよね。

 そこで

 男が投資家に尋ねる。

「わかった。

 そうやって

 会社が

 大きくなったとして、

 最後は

 どうなる?」

 投資家は答えます。

「会社は

 次の世代の人間に

 任せて、

 儲かったお金で

 悠々自適に

 過ごしなよ」

「悠々自適って?」

「好きなことが

 できるんだよ」

 そこで

 男は言います。

「好きなことが

 できるって?

 だったら

 釣りをするなあ」

 

 

・お金というのは、

 その先に

 何かがあって、

 はじめて

 価値が示されるものです。

 お金は

 何かに換えないと

 意味がない。

 

 

・これは

 ある伝説的な

 ディレクターが

 指摘していたことですが、

 本当に面白い

 芸人さんで

「はい、どーもー!」

 って出てくる人間は

 いないんだそうです。

 確かに、

 面白い芸人さんは

 まず

 お客さん、

 コミュニケーションの

 相手が

 どう感じているかを

 察してから

 話しはじめます。

 奥に

 自己顕示欲は

 あったとしても、

 それを

 前面に

 押し出すことはない。

 自己顕示欲がある、

 言い換えれば

「自分大好き」なのは、

 相手からすれば

 どうでもいいことです。

 重要なのは、

 相手にとって

 興味があるかないか

 なんです。

 

 

「ウケたい」

「楽しい」

 よりも

「言いたい何か」

 を正確に伝えるのが

 優先されるなら、

 それに同意できない人とは

 議論や論争に

 なってしまいますよね。

 僕は

 誰かを

 言い負かしたところで

 何かが伝わるとは

 まったく

 思っていません。

 それより、

 僕が反応したことによって

 コメントを寄せてくれた人が

 楽しさを感じてくれる。

 お互いに

 持ち寄ったものが

 今ここにある。

 共有と共感が

 連続してある。

 そこに

 また言葉が生まれ

 コミュニケーションが

 活性化する。

 そこが

 大事なんだと

 思います。

 

 

・僕は、

 自分の仕事を

 考えたとき、

 このエレベータの

 気まずさこそ

 アナウンサーが

 克服すべきものだと

 思ったんですね。

 エレベータの中に、

 束の間

 ふっと

 笑えるような

 会話があったら、

 そこにいる

 全員が

 楽になるはず。

 コミュ障を克服する、

 コミュニケーションが

 うまくなる、

 みたいな言い方では

 なかなか

 具体的に

 見えなかったものが、

「エレベータの中を

 楽に過ごすには」

 と考えたら

 目標が

 はっきりした。

 

 

・コミュニケーションというのは、

 実は、

 コミュニケーションが

 成立すること自体が

 目的であって、

 そのときに

 伝達される情報は

 二の次なんです。

 情報の

 質や内容なんて

 どうでもいい。

 エレベータ内の

 十数秒の価値は、

 コミュニケーションが

 円滑に

 なされたかどうか

 によってのみ

 測られます。

 スムーズに

 言葉のやりとりができ、

 その場を

 楽に過ごすことこそが

 第一なんですね。

 

 

・たとえば

 もし、

「味覚なんて

 要らない」と

 本気に思っていたら、

 その人は

 自分のことを

 味覚障害だって

 悩まないはずですよね。

 味覚が失われたことを

 障害だとは

 思わないし

 気にしない。

 でも

 現実、

 どうでしょう。

 そんな人いないと思う。

 コミュニケーションも

 同じ、

 上手く話せない、

 いつも

 すれ違いで

 話が嚙み合わない、

 これは

 辛いはずです。

 そういう思いを

 普段からしている人、

 自分で

 コミュ障だと

 思っている人は、

 その悩み自体が

 コミュニケーションに対して

 価値を感じている

 証拠なんです。

 

 

・コミュニケーションを

 ゲームと捉えないと、

 会話は

 ふわふわして

 曖昧なまま、

 うまくいっているか

 そうでないか

 評価ができない。

 評価できないものは

 どう修正すればいいか

 わからないので、

 うまくなりようが

 ありません。

 コミュニケーションを

 ゲームと捉えると

 意味のある練習が

 できるようになるんですね。

 

 

・人に

 しゃべらせる方法を

 考えたときに、

 先入観は

 持っていたほうがいい。

 もっと言えば、

 先入観は

 むしろ

 間違っているほうが

 いいかもしれないくらい。

 なぜか?

 人は

 間違った情報を

 訂正するときに

 一番しゃべる生き物

 だからです。

 

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・相手のことを

 完璧には

 理解できない、

 誤解ウェルカムでいこう

 というのが、

 本質的に

 何を意味しているのか?

 それは、

「伝える」と

「伝わる」は

 まったく違う

 ということなんです。

 アナウンサーの仕事を

 よく

「伝える仕事」

 だと言う人が

 いますけれども、

 伝えるというのは、

 なるべく

 伝わるよう

 演出することに

 すぎないんです。

 ある事柄を

「これを理解しなさい」

 と言って

 完璧に

 伝えられるか

 といえば、

 そんなことは

 絶対に

 できない。

 自分が思っていることを

「伝える」のは、

 究極的には

 無理なんです。

 だけど

「伝わる」を

 演出することは

 できる。

 この差、

 わかりますか?

 伝えるというのは、

 何もしなくても

 自動的に

 伝わってしまうことを、

 より正確に

 伝えようとする

 意思の表れです。

 誤解を

 より

 理解に

 近づけようとすること。

 伝えるべき

 事柄を

 より

 伝わりやすくする、

 そういう

 演出なんですね。

 相手に

 伝わってしまうことは、

 自分では

 選べません。

 それは

 徹頭徹尾、

 相手の問題であって

 自分のことではない。

 真意は

 伝わってしまうものです。

 コミュニケーションを通じて

 最終的に

 何が伝わるかは、

 こちら側の意図とは

 ほぼ

 無関係なんです。

 自分を伝えるとか

 表現する

 というのは、

 命令と同じことだと

 思います。

「こちらの

 解釈した形で

 理解しろ」

 と言っているのに

 等しい。

 そんな強制は

 誰にも

 できません。

 人に

 自分の考えを

 伝えたい

 と思ったら、

「僕は

 こう思うんだけど、

 どうだろう?」

 ぐらいの

 演出がなければ

 難しい。

 伝えたいという

 気持ちを

 前面に

 押し出すのではなくて、

 まずは

 訊いてみる程度の

 意識じゃないと

 相手も

 反応しづらいんです。

 

 

・コミュニケーションは、

 自分が伝えたいと

 意識したことが

 相手に

 伝わるわけではない。

 逆に言えば、

 伝えたいことなんて

 なくても、

 何かが

 伝わってしまうことが

 前提になっているんです。

 たとえば

 感動して

 言葉がなくても、

 その気持ちは

 伝わりますよね。

 それも

 立派な

 コミュニケーションです。

 言葉が出ないくらい

 怒っていても、

 それは

 伝わってしまいます。

 人といたら

 多かれ少なかれ、

 勝手に

 伝わってしまうものがある。

 黙っていたとしても、

 自然に、

 誰でも、

 人は

 何かを

 受け取ってしまうんです。

 

 

・ここが、

 コミュニケーションを

 苦手とする人の

 陥ってしまいがちな

 ポイントでも

 あります。

 その場を

 楽しくする意図で

 相手が

 厳しい言葉を

 投げかけてきたとき、

 こちらを

 傷つけようとしている

 と思ってしまったり、

 頭では

 わかっていても

 受け止められず

 笑えなかったりする。

 そこは

 多少いじられても

 我慢しようというのは

 どうしても

 あります。

 ちょっと

 我慢すると

 もっと

 いいことが

 いっぱいあるからです。

 そこは

 あえて

 愚者になる。

 馬鹿にされて

 当たり前の人に

 なりましょう!

 愚者になることによって

 コミュニケーションを

 とってみる。

 いじられたら

 ラッキーと思え。

 コミュニケーション・ゲームへ

 臨むにあたっての

 一番重要な

 基本姿勢かもしれません。

 そこまで行けたら、

 これらコメントを

 寄せてくれた人たちは

 コミュ障を克服できる

 と思います。

 

 

・コミュ障は

 空気が読めないから

 喋れないんじゃなくて、

 逆に

 空気を読み過ぎるから、

 コミュニケーションが

 上手く取れない。

 そういう

 繊細な感覚を持った

 心優しい人たちなんです。

 そこへもってきて

 少しズレた

 反応をすると

 いきなり

「空気読めよ」

 と言われる。

 それじゃ

 余計

 話せなくなって

 しまいますよね。

 

 

・結局、

 僕たちが

 今やっていることは

 毛繕いで、

 脳内に

 麻薬物質が

 生成されている。

 単純に

 気持ちのいいことなんです。

 では、

 一番気持ちいい、

 毛繕い的な会話とは何か?

 もう答えは

 出ているようなものですね。

 無駄話、

 雑談、

 馬鹿話、

 そういう類の

 コミュニケーションだったんです。

 

 

・これ

 全部、

 相手の話です。

 自分の話なんて

 一個もない。

 話題は

 常に

 相手の側にある。

 相手のために

 質問をすれば

 いいんです。

 もし

 逆に

 相手が

 質問してくれたら

 喋りやすいでしょう。

 お互いに

 質問を出し合えば、

 より

 気まずさを

 回避することが

 できるんです。

 

 

・何か答えが

 返ってきたら、

「あっ、

 そうなんですか」

「え?」

「本当ですか」

「どういうことですか」

 反応の仕方は

 様々ですが、

 そこへ

 さらに

 興味の種となるようなものを

 見つけて驚く、

 面白がる。

 そこから

 会話を

 広げていくんです。

 ここで

 大切なのは、

 感ずる

 心のハードルを

 思い切り下げる

 ということです。

 どんなに

 小さなことでも

 とりあえず

 関心を

 持ってしまう。

 相手に

 興味を持つことが

 できれば

 質問に

 移せるし、

 そこから

 また次へと

 会話に

 好循環が

 生まれます。

 

 

・コミュニケーション・ゲームでは、

 相手の言い分に

 乗ってみようと

 決められたら

 とても楽なんです。

 人は

 自分が

 淀みなく

 話しているときに

 楽しいと

 感じられる

 生き物なので、

 それを

 わくわくてかてか

 しながら

 聞ける姿勢が

 とれるか否か、

 そこに

 コミュニケーションの

 実りは

 かかっています。

 これ、

 すべての答えを

 言ってしまっている

 ようなものなんです。

 なぜ、

 この人と

 話をすると

 楽になるのか。

 楽しく、

 心地よく、

 気まずさなんて

 どこ吹く風で

 うんうんって

 話を聞いてくれる人、

 自分のことに

 興味を持って、

 色々と

 訊いてくれる人。

 驚いたり

 笑ったり、

 話が転がって

 退屈しない人。

 そういう人と

 コミュニケーションを

 とっていると

 人は

 確実に

 楽になれるんですね。

 

 

・ワインの知識が

 あればあるほど

 レアな年代物の

 価値が

 わかるように、

 無知だから

 驚けるんじゃないんですね。

 深い知識があるから

 驚ける。

 素直であることと

 無知であることは

 イコールでは

 ありません。

 

 

・たまたま話す

 機会があって、

 あくまで

 一般論として

「宣伝する映画が

 ものすごく

 つまらないとき、

 どうされるんですか?」

 って訊いたんですね。

 そしたら

「駄作を撮ろうと

 思っている

 監督は

 ひとりもいません」

 きっぱり

 そう

 おっしゃったんですね。

 それを聞いたとき、

 こういう人に

 宣伝を

 担当される

 映画は

 幸せだと、

 本当に素敵だな

 って思った。

 映画に限らず

 確かに

 まあごめんな駄作は

 あるし、

 色んな原因が

 重なって

 そうなって

 しまうんでしょう

 けれども、

 どんな作品にだって

 誰かを

 楽しませようとした

 事実は

 絶対にある。

 名作計画は

 必ず

 あったはずだから、

 僕は

 そこに

 目を向ければ

 話は聞けるし、

 面白がれるはずだ

 って思ったんですね。

 

 

タモリさんは

 自分から

 話したい事柄なんて

 ないんです。

 番組内では

 相手の話に

 便乗して

 喋っているだけ。

「話す」ではなくて、

「聞く」が

 仕事に

 なっている。

 それが

 現代日本を代表する

 コミュニケーターの

 姿です。

 

 

「自分の中で

 一番

 認めたくないことは

 何ですか?」

 ニッポン放送の長寿番組

『テレホン人生相談』で、

 パーソナリティの

 加藤諦三先生が

 いつも

 問いかける

 ひと言です。

 先生と

 対談したときに

 お伺いしたところ、

 返ってきた答えは、

「認めるのは

 一時の苦。

 認めないのは

 一生の苦」

 という

 お言葉でした。