ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読者記録No.5 (抜粋22箇所)『今はもういない』森博嗣

 

『今はもういない』

  森博嗣

 

 

・けれど、考えてみれば、

 人生だって断続するトンネルみたいなものだ。

 必ずどこかで意識は途切れ、

 ずっと明るいままの思考が連続しているわけではない。

 それなのに、

 たった今通ってきたばかりの道に

 トンネルが存在していたことさえ

 忘れてしまう。

 そうして人は、

 常に明るい綺麗な道筋を顧みようとする。

 おそらく

 一種の防衛行為だろう。

 

 

・私の人生のレールも

 ずっと土に埋もれていた。

 それでも、

 脱線せずに何とかここまで来れたのは、

 意志が薄弱だったおかげなのだ。

 これは悪いことではない、

 と自分では思っている。

 意志がもう少し強かったら、

 周囲の他の意志とぶつかって、

 それだけ我慢しなくてはならないことが増える。

 幸い、私は我慢することがあまりなかった。

 流されるままに生きてきた、

 ということだろう。

 

 

・舗装された林道が開通し、

 そこを走る大型トラックによる輸送が、

 おそらく

 この軽便鉄道の使命を奪ったのであろう。

 廃線になって十年、

 いやそれ以上に経っているに違いない。

 しかし、別にどうということはない。

 いつだって、より効率の良いものが、

 どんなに親しまれ、どんなに美しく伝統的な手法にも、

 必ず勝る。

 それがシステムというものだ。

 要するに楽であること……、

 それ以外に人間を魅了するものはない、

 といっても過言ではない。

 

 

・百のものに出会えば、

 十のものはマイナスにも見える。

 

 

・人生という航海は、

 最初、誰もが小船で漕ぎ出すのに、

 いつの間にか自分より大きな船に便乗し、

 ときには人の乗り過ぎで、

 その大船が沈んでしまったりもする。

 

 

・人間には、

 こういった自虐的、破滅的な本質が

 必ず潜んでいる。

 自殺する生物は多くないのに、

 人類に限ると珍しくない。

 高等といえば高等、

 複雑といえば複雑

 であるが、

 単に本質を見失っている

 (あるいは、見失おうとする)

 だけかもしれない。

 

 

・「だいたいさ、

 観察された結果から原因を導く場合の理論というのは、

 たいていの場合、あと付けなんだよ。

 自分や他人を納得させるために、

 あとから補強された論理なんだ。」

 「しかし、

 思考や発想の道筋は、

 それ以前に既に存在している。

 理論なんて、つまり、

 ただのコンクリート舗装か、ガードレールみたいなものに過ぎない。

 あとから来る人のために、走りやすくする、

 という役目をしているだけなんだ。

 そもそも、

 その理論を構築した本人自身だって、

 さきにその道を一度通っているんだよ。

 舗装もガードレールもないところを、

 最初に通っているわけ。

 その最初の思考過程には

 言語によって明確に限定されたもの、

 つまり理論と呼べるものの実体は

 まだ存在していない。

 いや存在する、

 と錯覚している人もいるようだけど、

 その場合は、

 個人の頭脳の中にいる別の傍観者が

 表層に現れているに過ぎない。

 それは

 最初の発想を持った中心人格とは、

 明らかに別の人格だ」

 

 

・こう、

 関係ないときにね、

 突然湧いてくるインスピレーションが

 本物なんですよ。

 机に向かっているときに

 無理やり絞り出すアイデアなんてものは、

 全部ゴミ。

 

 

・もともと仕事とは、

 多かれ少なかれ

 人を騙して金を取る行為なのである。

 半端な正義感や社会的使命感をちらつかせる連中のほうが

 むしろ鬱陶しい。

 

 

・感情を殺してしまうことは、

 わりと簡単だけど、

 考えないでいるなんて方法は

 ないみたいですね。

 何も良い方法はないんです。

 意識があるうちは……。

 

 

・人が「ものを見る」といった場合、

 カメラで写真を撮ることとは

 明らかに意味が違うのである。

 つまり、

 観察に先立って、

 確固とした目標がイメージできなければ、

 人はものを見たことにはならない、

 といっても過言ではない。

 認識するためには、

 予め用意された仮説が必要なのである。

 

 

・確かに、彼女よりずっと年寄りなのだからしかたない、

 と犀川は思う。

 おそらく、

 未来のいかなるシチュエーションに対しても、

 過小に評価してしまう年齢なのだ。

 永遠の未来が存在しないことを、

 初めて実感できる年齢でもある。

 

 

・人は

 時間と空間において、

 何の自由もない。

 

 

・遠くの山々は時折しか見えない。

「自然」と名付けられた存在に囲まれている。

 人間が世界を支配している?

 誰がそんなことを言ったのだろう?

 もちろん、人間以外に言わない。

 どこを見ても、

 この惑星は植物ばかりではないか。

 それに、

 無数の昆虫が、

 人類の何十倍もの面積を占有しているのだ。

 犀川

 窓の外を眺めながら、

 そう考えた。

 だが、

 明日、大学の研究室に戻ったら、

 彼の机の上にあるのは、

 その植物の死骸から作られた紙の山だ。

 

 

・金持の居眠りは不可能だ。

 いかにも富とは

 いつも公衆のものだった。

 聖浄な愛だけが

 知識の鍵を与えてくれる。

 自然は邪気のない見世物に過ぎぬ。

 妄想よ、理想よ、過失よ、

 おさらばだ。

 

 

・尻切れトンボではない人生なんて、

 あるだろうか。

 終わりなどというものは、

 誰かが勝手に終わりだと決めたときが、そうであって、

 それ以外に区切りなどない。

 

 

・その事件は、

 たぶん解決していたんだと思う。

 解決、の定義にもよるけどね。

 この場合、

 本質としての謎を、誰かが現象的には正しく認識した、

 という解決だよ。

 ただし、それが表面的には現れなかっただけだ。

 けれど、それで充分だった。

 よくあることだと思う。

 元来、理屈ってやつは、

 そもそも表面に出たがらない本質を持っている。

 この、理屈が顕在化したがらない、

 という理屈自体は、

 多くの場合、

 経験的、歴史的な観察から生まれたもので、

 つまり理屈はないんだよ。

 いや、実は、

 その理屈も、実体は隠れているのか、

 それとも、

 理屈の定義が、

 そもそもその隠遁にあるのか。

 そう、たとえばね。

 真理という言葉は、

 必ず、内向的なイメージを伴う。

 ベクトルは

 中心、すなわち一番内部を向いている。

 それは、

 常に、深く、

 と形容されるだろう?

 深く隠れていなくちゃいけないんだ。

 何故か

 表面には、

 真理は決して存在しない。

 

 

・文学的にいえば、

 人間は機械じゃない、

 ってとこかな。

 もっと崇高な存在なんだけど、

 最適化はまだされていない。

 あるいは、

 一方では、

 もっと卑劣な存在なのに、

 まったく空隙だらけでポーラスな構造を見せている。

 だけど、

 どういうわけか、

 なかなかの仕事をして、

 目を見張る資産を残すわけだ。

 それを支えているのは、

 人間の個体数、

 つまり人数だ。

 しかし、間違えちゃいけない。

 大勢の人間の協力が必要だ、

 なんて馬鹿な意味じゃないからね。

 子供にはみんな、

 力を合わせることが大切だ、

 なんて幻想を教えているようだけど、

 歴史的な偉業は、

 すべて個人の仕事だし、

 そのほとんどは、

 協力ではなく、

 争いから生まれている。

 いいかい、

 重要な点は……、

 ただ……、

 人は、

 自分以外の多数の他人を意識しないと、

 個人とはなりえない、

 個人を作りえない、

 ということなんだ。

 まあ、専門的にいえば、

 要素、つまりエレメントというんだけどね。

 

 

「僕が得た情報は、

 すべて君からの伝聞だから、

 もちろん、これが真相かどうか

 なんて判断するつもりは

 全然ない。

 だけど、

 君がどう思っているかは

 自明だった。

 西之園君は、僕に説明するとき、

 既に自分の仮説を想定していた。

 だから、

 自然に、

 その仮説しか残っていないところへ導くように、

 僕に話した」

「したがって、

 僕が行き着いた結論は、

 つまり、

 君の結論と同じ。

 当たり前のことだね」

「それを継承という。

 継承による推論は、

 地球上では、

 人間だけが手に入れた、

 とても優れた思考パターンのうちの一つだ」

「要するに、

 すべての情報は

 その発信母体の呪縛から逃れられない。

 必ず

 信号を発する頭脳の思考プロセスによって

 制限されている。

 それは簡単に表現すれば、

 言葉を話すのに時間がかかり、

 それを認識するのにも時間がかかるからだ、

 といっても良い。

 たとえば、

 現象は並列でも、

 言葉は直列に並ぶ。

 その並べ替えのプロセスに、

 発信母体の意図が介在するだろう。

 そこに

 制限された境界条件

 必ず入り込む。

 もちろん、

 言葉と現象の多言対応が、曖昧さを作り、

 シンボルの選択には、

 受信側の意思も侵入することになるけれど、

 これが、発信側の張った網を超越することは

 極めて稀だ。

 つまり、

 この特性を利用することによって、

 継承による推論が生まれた

 ともいえる」

 

 

・そう、

 僕はね、

 なかなかずるい。

 矛盾を含まないものは、

 無だけだ。

 矛盾を含んで洗練される。

 ちょうど、

 微量の炭素を含んで鉄が強くなるみたいにね。

 

 

・地球上に、

 人類よりも機敏に立ち上がることのできる動物がいるだろうか、

 と犀川は思った。

 その思考の立ち上がりの素早さと、感情操作の素早さ、

 それが人間の特徴だ。

 人間以外の動物たちは、

 喜怒哀楽を知ることはあっても、

 それを隠したり、保存したり、仲間に分け与えることはできない。

 すべては伝達に起因している。

 人間だけが、

 悲しいのに笑える。

 嬉しいのになけるのだ。

 

 

・携帯用の灰皿を片手に持ったまま、

 犀川は美味しい空気と一緒に煙草を吸うことができた。

 空気の美味しさを、煙草を吸って感じることができるのは、

 美味しい酒が良い水で作られるのに似てる。

 濁ったものでしか、

 人間は純粋さを測れないのだ。

 本当に純粋なものには、

 基準も尺度もないからである。