ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.6 (抜粋7箇所)『がんばらない』鎌田實

 

 『がんばらない』

   鎌田實

 

 

 想像していたよりもずっと素敵な本でした。

 

 

・最後まで、

 できればギリギリまで、

 家にいたいと思っています。

 今までの病院では、

 動けるのに、

 寝てなさい

 と言われ続けてきた。

 でも

 動ける間は頑張って動いて、

 何でもやりたい。

 食事の仕度だって、

 できる間は私がやる。

 痛いのを我慢してでも

 動いていたい。

 何度でも言います。

 できれば

 最後まで家にいたい。

 病気が進んで喋れなくなったら、

 きっと

 家族の者が私の身の振り方を決めると思うけれど、

 そんな時に

 私の意志通りにならないことがないように、

 今こうして喋れる内に、

 色々話しておきたい。

 家にいさせてほしい。

 動きたいのに、動けるのに

 動いてはいけないと言われるのは辛い。

 三度の食事を運んでもらって、

 食べて、薬飲んで、あとは寝てるだけ

 なんて生活は嫌です。

 私は

 病人だけど、

 病人になりたくないのです。

 わかりますか。

 

 

・5年しか生きられないとしたら、

 俺だってやりたいことが

 いっぱいある。

 民間療法で治るほど、

 この病気は甘いもんじゃないんですね。

 残された人生が

 5年か10年かもしれない。

 それしかないと思ったほうが、

 毎日、充実して生きていける。

 もっともっと

 生と死を激しく見つめてみたい。

 見つめなければいけないときに来てる

 と思います。

 現代医学の治療を、

 体の調子も良いから

 挑戦してみたい。

 

 

・今日一日どうやって生きようかと、

 それだけで精一杯だ。

 今さら何を……。

 現実を知って頑張ってきたのだから、

 悔いはないが

 やり残したことは

 いっぱいあるさ。

 海外旅行もしたかったし、

 結婚して俺の子供もほしかった……

 もっと生きたい……

 言ってもきりがないことだ。

 これが俺の運命だったんだ。

 前精力を病気との闘いにかけたので

 思い残すことはない。

 

 

・人間らしく老いること、

 そして

 それぞれ

 私たちの年齢に相応しい心構えと知恵を持つことは、

 ひとつの難しい技術である。

 たいていの場合、

 私たちの心は

 肉体よりも年とっているか、遅れているか、

 どちらかである。

 このずれを修正してくれるもののひとつに、

 内面的な生の感覚のあの動揺、

 人生のひと区切りや病気の際に私たちを襲うあの根源的な戦慄と不安がある。

 

 

・大事なのは

 その人の人生で、

 僕の人生ではないということ。

 その人が生きやすいように、

 生きたいように生きていくこと。

 それを支援していくことが

 大事なんだと思う。

 

 

・今から4千年前、

 人間の平均寿命は

 18歳くらいだった

 と推定される。

 そして紀元元年、

 今から2千年前の平均寿命は、

 22歳といわれている。

 2千年かかって、

 4歳長生きできるようになった。

 人間は

 文化を少しずつ推し進めて、

 5百年で、

 寿命をたった1歳伸ばすのが精一杯だった。

 地球が誕生したのが50億年前、

 生物が誕生してから約30億年、

 単細胞の生命体から、

 ゆっくりと多様な物体が生まれ、

 生まれてきたものが進化・進歩し、

 哺乳類が生まれたのが

 1億年前といわれている。

 明治時代の初め、

 日本人の平均寿命は

 33歳だった。

 約1900年かけて、

 11歳寿命を伸ばしたことになる。

 ということは、

 173年で1歳、

 寿命を伸ばしたわけだ。

 アクセスペダルは少し踏まれたが、

 まだまだゆっくりとした変化だった。

 産業革命後、

「命」にも急激な変化が起きた。

 今、

 日本の女性の平均寿命は

 83歳。

 日本では

 この100年、

 50歳もの寿命を伸ばしてしまった。

 2年で1歳の寿命を伸ばしたことになる。

 

 

・今日は死ぬのに

 とてもよい日だ。

 あらゆる生あるものが

 私と共に仲よくしている。

 あらゆる声が私の内で

 声をそろえて歌っている。

 すべての美しいものが

 やってきて私の目のなかで、

 憩っている。

 すべての悪い考えは

 私から出ていってしまった。

 今日は死ぬのに

 とてもよい日だ。

 私の土地は平穏で

 私をとり巻いている。

 私の畑にはもう最後の

 鋤を入れ終えた。

 我が家は笑い声で満ちている。

 子供たちが帰ってきた。

 うん、今日は死ぬのに

 とてもよい日だ。