ひーぶろぐ。

読書していたときに心に触れた言葉を残しています。

ひょっぽこ読書記録No.40 『ショッパイ河を漂って』自然先紀著 文芸社 ー抜粋6箇所

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   『ショッパイ河を漂って』

      自然先紀 著

       文芸社

 

 

 

・『自転車に乗った男』

 A村の青年が

 B村殺人事件の

 容疑者として

 逮捕された。

 が

 彼は、

 犯行時刻

 昨夜九時ごろの

 アリバイを

 主張する。

「ゆうべは

 B村とは反対の

 C町に

 用事があって、

 八時半ごろ

 自転車で出かけた。

 あいにく

 むこうは

 るすで、

 しかたなく

 ひきかえしたが、

 家に帰ったときは

 もう十時すぎ。

 このズボンを

 見てください。

 これが

 何よりの証拠。

 自転車が中古なので、

 途中

 なんども

 チェーンに

 ひっかかったんです」

 といって

 ズボンの左すそを

 見せた。

 なるほど、

 黒くよごれ、

 少しやぶけている。

 …が、

 さて、

 きみは

 このアリバイを

 信じるか?

 

 

・常識的発想や

 常識的行動では

 解明できぬからこそ、

 人は

 そこに

 興味を見出す。

 いくら「不可能興味」と

 力んでみたところで、

 それが

 常識によって

 解明され、

 陳腐な真相を

 露呈し続ける限り、

 人は

 そこに

 興味を見出すことは

 出来ないのだ。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」では、

 やはり

 読者としては

 物足りない。

 

 

・そもそも

「ミステリ」

 にとって

「トリック」

 が

 なぜ

 必要なのか?

 

 

・最初は

 作者と読者をつなぐ

「絆」として

 機能していた

「トリック」は、

 やがて

 読者の購買意欲を

 搔き立てるための

 レッテルとして、

 商業的に

 利用されるように

 なってしまったのだ。

 

 

「犯罪」を扱うから

「ミステリ」なのではなく、

「ミステリ」が

「明かす」美しさを

 描くための

 題材として

 積極的に

「犯罪」を

 選んだのではないか?

 

 

「あんた、

 どっからかね。

 外国の人の

 ようだが」

ベトナムです」

「ほう、

 それは

 大変だったね。

 アメリカさんを

 相手に

 しとったんだから」

「それは

 日本も

 同じことですよ」

「いや、

 日本は

 負けた。

 同じじゃない」

 紳士の表情が

 一瞬

 堅く引き締まった。

「本土決戦に

 持ち込んでいたら

 あるいは

 と考えることも

 あるのさ」

「日本が

 それを選択しなくて

 賢明だった

 と思います。

 我が国は

 国民と国土に

 深い深い

 ダメージを

 受けました。

 国土が

 戦場になることだけは

 避けるべきだったのです」

「では、

 アメリカに

 負ければ

 良かったのかね?」

「いえ、

 マクナマラ回顧録

 読みましたが、

 例えば

 北爆の引き金になった

『ブレイク基地襲撃』をとっても、

 その意味合いが

 両国の間で

 決定的に

 違うのです。

 実際は

 戦争を回避できる機会は

 何度もあったのですが、

 我が国も

 アメリカも

 その機会を

 ことごとく

 逃してしまったのです」

「結果論か」

 紳士は

 タバコに火を点け、

 夜景に目を戻した。

「時間が経ってからでないと

 わからないことだらけだよ。

 その時、

 その時に

 間に合ったためしがない。

「それでも、

 その経験を

 未来につなげることは

 必要だと思います。

 今度は

 間に合うかもしれませんから」

 

 

 

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